日本史論述ポイント集・中世①
この「ポイント集」も今回から中世へと入っていきますが、中世の学習を通じて考えてほしいことがあります。
それは、「中世とはどのような時代か?」ということです。
もちろん、古代だって近世、近代だってどのような時代かを考え、その枠組みを捉えることは大切です。ですが、中世はとりわけその重要度が高い。というのも、一般的な中世のイメージと少し(かなり)異なるからです。
単純に〈中世=武士の時代〉ではありませんし、教科書でもそのようには記述されていません。
山川出版社の『詳説日本史』にはこうあります。
「こうして院政期には、私的な土地所有が展開して、院や大寺社、武士が独自の権力を形成するなど、広く権力が分散していくことになり、社会を実力で動かそうとする風潮が強まって、中世社会はここに始まった。」(90ページ)
さしあたっては、中世は〈実力社会〉であったと押さえておいてください。その意味は学習を進めるにつれて分かってくるはずです。
さて、今回は院政と平氏政権です。中世が院政から始まるのはなぜかも、考えてみてください。
中世1・院政と平氏政権
Q1 上皇の権力の由来は?
A1
○天皇の父方の立場から、法や慣例にとらわれず、専制的に政治の実権を行使することができた点。
Q2 知行国制度はどのような制度か?
A2
①上級貴族を知行国主として一国の支配権を与え、その国からの収益を得させる制度。知行国主は近親者を国守として派遣し、行政・支配を行った。
②俸禄支給が有名無実化した貴族の収入を確保する目的で創出された。
③院は知行国主の任免権を握ることで権力基盤とする一方、自らも院分国を保有して経済基盤とした。
Q3 前九年合戦・後三年合戦の意義は?
A3
①2つの合戦を通じて、源氏(源義家)は東国武士団との主従関係を強固なものとし、東国における支配基盤を築いた。
②奥羽地方では、一族の内紛を制した清原(藤原)清衡が支配者としての地位を固め、平泉を拠点に3代100年にわたる支配が続いた。
Q4 保元の乱・平治の乱の意義は?
A4
○2 つの乱はともに天皇家・摂関家の内部争いに武士が介入して決着をつけたものであり、乱後、平清盛が武家の棟梁としての地位を確立し、権力が高まった。
Q5 平氏政権はどのような性格であったと言えるか?
A5
①天皇との外戚関係や院の近臣としての立場を権力の拠り所とし、大量の荘園・知行国を保有して経済基盤とするなど、貴族的な性格があった。
②一方で、西国の武士と主従関係を結び、私的に地頭に任命するなど、鎌倉幕府に先駆けた武士的な性格も持ち合わせた。
③また、武士であればこそ貴族社会の慣例を破って日宋貿易を推進することができた。
④以上から、平氏政権は古代から中世への過渡期的な性格を有していたと言える。
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