日本史論述ポイント集・古代⑤
歴史とは、無数の史実によって織られる、まさに〈テクスト=織り物〉です。
ですから、「因果関係を理解しなさい」とはよく言われるものの、それは「AだからB、BだからC」といったように単線的なものではありません。ある史実にはそれ以外の数多くの史実が要因としてあり、また、他のさまざまな史実と合わさって、別の史実の要因となります。
このことを踏まえて、〈多角的な視点から史実を捉える〉ということを意識してください。それは、とりわけ論述において重要です。
例えば、今回取り上げる健児の制ですが、「班田農民の負担の軽減と兵力の強化」という点にとどまっていては広がりがありません。
「班田農民の負担の軽減」は、「班田制の再建を目指す桓武朝」という文脈に位置づけられます。浮浪・逃亡の原因であった税負担の過重を取り除く必要だったわけです。
また、「兵力の強化」は東アジア情勢の変化に対応したものと捉えられます。8世紀末には唐が衰退し、対外的な緊張が緩和されていました。
班田農民からの徴兵による軍団・兵士制は、対外的危機に備えるものでした。いつ唐・新羅が襲来するか分からないという状況下では、兵力量を確保しておく必要があります。
しかし、対外的危機が去れば、過剰な兵力量は負担になるだけです。むしろ、精鋭軍を準備しておいた方が良い。つまり、軍団・兵士制から郡司の子弟などを採用した健児の制は、量から質への転換でもあったのです。
このように、〈多角的な視点〉から考察すると、歴史を奥行きをもって捉えることができます。一対一の関係に満足せず、複数の要素を数え上げることを意識してください。
今回は平安時代です。
古代⑤・平安時代
Q1 平安初期の政治のねらいは?
①奈良時代には、相次ぐ政争や財政の悪化など、律令制の綻びが見え始めていた。それは、唐から導入した律令が日本の社会には合わないという面もあった。
②そこで、令外官の設置や格式の編纂を進め、実情に即した形での律令の再建を図った。
Q2 健児の制が採用された目的は?
A2
①辺境の地を除いて班田農民からの徴発による軍団・兵士制を廃止することで、負担の軽減を図る。
②唐の弱体化によって対外的緊張が緩和される中で、兵力量の維持よりも、郡司の子弟らの採用による兵力の質の向上を優先する。
Q3 摂政と関白の共通点と相違点は?
A3
①摂政は幼少の天皇の政務を代行し、関白は成人した天皇を後見した。
②ともに外戚の立場から天皇に代わって実際の国政をとり、官職の任免権を権力の拠り所とした。
Q4 摂関政治における権力構造はどのようになっていたか?
A4
①母方を重視する貴族社会において、娘を中宮として天皇の外祖父となることが権力の源泉であった。
②摂政・関白として官吏の任免権を握ったことで権力をふるった。
③政策は公卿による審議ののち、天皇の決裁をへて、宣旨や太政官符などの文書で伝達された。また、政治の運営は太政官を通じて中央・地方の官吏を指揮する形で行われた。
④つまり、摂関政治はあくまでも太政官制に依拠していたと言える。
Q5 菅原道真が遣唐使の中止を提案し、その後も派遣されずに終わったのはなぜか?
A5
①南路・南島路の航海には危険がともなった。
②唐の疲弊によって文化的な価値が減少していた。
③偽籍の横行などにより律令税制が機能しなくなり、財政が悪化していた。
④僧侶や商人の私的な往来が活発化しており、公的な使いを送る必要が薄れていた。
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