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日本史論述ポイント集・中世②

今回は鎌倉幕府の支配体制について扱いますが、何と言っても難しいのは地頭の任務と権限だと思います。

そこで、以下の4点をまずは押さえてください。

1.御家人(武士)の出自は開発領主である。その先祖伝来の所領支配権を保障するのが本領安堵であり、幕府は地頭任命を通じてこれを行った。

2.御家人(武士)は荘園の荘官や公領の在庁官人でもある。地頭任命とは荘官や在庁官人の地位に幕府がお墨付きを与えるということである。

3.地頭に認められたのは、下地管理・年貢の徴収とそれに伴う地頭職(収益権)である。つまり、土地所有権が認められたわけではない。(領主権を握るのはあくまでも荘園領主)

4.地頭が確実に年貢納入を行うことで、荘園・公領は維持された。その意味で、地頭と荘園領主・国司とは対立する関係にはない。

これらを踏まえて以下のポイントに目を通し、教科書を熟読してください。

時間をかけて良いですから、しっかりと理解して自分のものとしましょう。


中世②・鎌倉幕府の成立

Q1 寿永二年十月の宣旨は幕府の成立にとってどのような意味があったか?

A1

○この宣旨により、源頼朝は後白河法皇から東海道・東山道の支配権を承認された。つまり、東国の政権の実質的な成立を意味する。


Q2 封建的主従関係とはどのような関係か?

A2

①土地の給与を通じた将軍と御家人の主従関係のこと。

②将軍は御家人に対して、先祖伝来の所領の支配権を保障する本領安堵や、戦功に応じて新たな所領の支配権を与える新恩給与を行った(御恩)。

③一方、御家人は将軍に対してその見返りとして、京都大番役や鎌倉番役などの軍役奉仕を行った(奉公)。


Q3 惣領制とはどのようなものか?また、惣領制が幕府の支配基盤であったとはどういうことか?

A3 

①惣領制とは武士社会の血縁的結合で、庶子は軍事や氏神の祭祀を司る惣領の命令に従い、所領は分割相続を原則とすることで、一族は強く結びついた。

②多くの場合、惣領が一族を代表して御家人となって将軍と主従関係を結び、御恩・奉公は惣領を通じて庶子に振り分けられた。このようにして、惣領制の血縁的な結合は幕府の軍事的・政治的な基本単位となっていた。


Q4 守護・地頭の権限・任務は?

A4

①1185年、源頼朝が後白河法皇から、平氏残党と源義経の追捕を目的に、各国に総追捕使、荘園・公領に荘郷地頭の設置を認められたことに始まる。(文治の勅許)

②守護は、原則として各国に一人ずつ、東国の有力御家人が任命された。大犯三箇条を主な任務として、国内の郡司警察権を握った。

③地頭は、荘園・公領ごとに任命され、現地の支配にあたって、荘園領主や国司に年貢を納める任務を果たした。御家人は地頭任命を通じて所領支配権が認められた。


Q5 鎌倉時代、朝廷と幕府はどのような関係にあったか?

A5

①幕府は、各国への守護任命と荘園・公領への地頭任命を通じて、全国に支配を及ばせた。また、将軍家も関東御領・関東知行国などを経済的な基盤としていた。

②一方、朝廷からは各国に国司が派遣され、行政権を握った。また、荘園領主は、年貢を確実に納入する地頭の存在によって領主権を確かなものとした。

③つまり、両者とも荘園公領制の基盤の上にあったと言え、対立する要素を孕みながらも、新制などを通じて協力的な関係を保った。こうした状態を公武二元支配と言う。




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