日本史論述ポイント集・中世③
今回は鎌倉中期の摂関政治の展開についてですが、一番のポイントとなるのは幕府と朝廷の関係です。
3代執権北条泰時が貞永式目を制定した趣旨を書き著して弟の六波羅探題北条重時に送った書状にはこうあります。
「この式目は〜武家の人へのはからひのためばかりに候。これによりて京都の御沙汰、律令のおきて聊もあらたまるべきにあらず候也。」
この式目は武家の人のために出したものですから、これによって朝廷での取り決めや律令の規定が変更されるということはありません。
書状ではこの部分に続いて、このことを公家の人たちによくよく説明して、安心してもらってください、と述べられています。
執権泰時が、なぜ公家に気を遣う必要があったのか。承久の乱に勝利して、力関係では幕府が朝廷に対して完全に優位に立っていたのにもかかわらず、です。
その理由を考えるには、前回説明した「公武二元支配」の状況を踏まえる必要があります。
ヒントはこのくらいにしましょう。あとは、今回のポイント集の内容も参考にして、考えてみてください。
中世③・執権政治の展開
Q1 承久の乱の意義は?
A1
①六波羅探題の設置、皇位継承への介入など、朝幕関係において幕府が優位に立った。
②上皇方の所領を没収し、戦功のあった御家人を新補地頭に任じたことから、幕府の支配が西国まで及んだ。
③こうして全国政権化した幕府は、執権を中心とする合議体制を整備していくことになった。
Q2 貞永式目の制定目的・基準・適用範囲について説明せよ。
①増加する御家人どうしや荘園領主との所領紛争を公平に裁く裁判基準を明確化する目的で制定された。
②頼朝以来の先例や武家社会の道理が採用され、基準とされた。
③適用範囲は御家人社会のみであり、朝廷では公家法が、荘園では本所法が通用した。しかし、幕府の勢力拡大とともに適用範囲も広がった。
Q3 承久の乱後、所領紛争が多発したのはなぜか?
A3
○朝幕関係において幕府が優位に立ち、東国出身の武士が各地で所領を持つようになると、さらに支配権を拡大しようとして年貢未納の動きを見せるなど、荘園領主と対立したから。
Q4 幕府が貞永式目で年貢未納の動きを見せる地頭に対して厳しい姿勢を示したのはなぜか?
○幕府の支配は荘園公領制を基盤としている。地頭が荘園領主・国司に対する年貢納入の任務を果たさなければ、荘園公領制は維持できないから。
Q5 摂家将軍・皇族将軍はどのような存在であったか?
A5
①地方武士にすぎず、武家の棟梁となる資格のない北条氏は、幼少の摂家将軍・皇族将軍を立てて名目だけの存在とし、自らは幕府内での執権の地位を確固たるものとした。
②それは、朝廷に対して幕府の実力を示し、独自性を確保するものでもあった。
③一方で、宝治合戦に見られるように、反北条氏が封建的主従関係をよりどころに勢力結集の旗印とすることもあった。
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