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日本史論述ポイント集・近世②

今回は幕藩体制を扱います。

まずは、幕藩体制の根幹にある、将軍と大名の封建的主従関係を押さえましょう。

そのうえで、朝廷・寺社・村などそれぞれに対する統制を見ていきますが、その際に、たんに上から押さえつけるのではなく、既にある組織を〈利用〉する、そうした視点をもってください。

たとえば、村は本百姓を中心に自治的に運営されていましたが、その組織を利用して、触の伝達や年貢の割り当てを行っていました。

そのような、組織を〈利用〉する柔軟さこそが、幕藩体制の下で江戸幕府が約250年間も続いた理由であるとも言えるでしょう。


近世②・幕藩体制の成立

Q1 幕藩体制とは?

A1
○全国の支配者である将軍と、その将軍と主従関係を結んで知行を与えられた大名とが、強力な領主権で土地・人民を統治する支配体制のこと。


Q2 参勤交代の目的は?

A2
①平時の軍役として、大名が将軍に臣従する立場であることを確認する。
②大名の妻子を人質(証人)として江戸に常住させることで、国元の大名を統制する。
③大名の経済力・軍事力を奪う。


Q3 幕府は天皇・朝廷に対してどのような方針で臨んだか?

A3
①天皇が権力をふるったり、大名が利用したりしないように、京都に封じ込める方針で臨んだ。
②そこで、禁裏御料などを制限して天皇家の経済力を奪った。
③朝廷に対しては、禁中並公家諸法度を制定して統制の基準を示し、改元や官位の授与、紫衣の勅許なども幕府の承諾を求めた。また、京都所司代を置いて監視し、武家伝奏を通じて幕府の意向を伝えた。
④一方で、徳川の全大名に対する指揮権の正統性は、征夷大将軍への任命によって得られたものである。そこで、朝幕間の融和を図り、天皇や朝廷の伝統的な権威を幕府の支配に活かそうとした。


Q4 幕藩はどのような方針で百姓を統制したか?

A4

①幕藩は、石高持の本百姓から徴収する年貢を財政基盤としていた。

②そこで、小農経営の安定を図り、百姓が貨幣経済に巻き込まれて困窮するのを防いで、年貢徴収を確実にしようとした。

③本百姓を中心に自治的に運営された村を、幕藩は支配に利用した。年貢や諸役の割り当ても、村の自治に依存して可能となった。(村請制)


Q5 各地の寺院は民衆統制にどのような役割を果たしたか?

A5

①民衆すべてを檀那寺の檀家とすることで、キリスト教と日蓮宗不受不施派の禁教を徹底した。(寺檀制度)

②檀那寺は寺請証文を発行して、結婚や奉公などの際に身許を保証した。

③禁教を徹底するため家族ごとに宗旨と檀那寺を記録した宗門改帳(宗旨人別帳)は、のちに人別帳と合わさって戸籍の役割を果たした。

④このように、各地の生活に根づいた寺院は、民衆統制にも利用された。




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