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日本史論述ポイント集・文化③

今回は中世の文化についてです。

その時代の文化の特徴を捉えるうえで、担い手を押さえることが肝心であるということを、繰り返し述べてきましたが、中世には武士や民衆が新たな文化の担い手として登場しました。

特に、民衆が担い手として登場する背景としてあったのが、経済の発達です。

中世には、二毛作の開始・普及や商品作物の栽培によって農業生産力が向上するとともに、鋳物師・紺屋などの手工業者が独立して生産を行うようになりました。すると、必要な物資を調達する場として寺社の門前や交通の要所に定期市が立ち、銭を用いた取引が行われ始めます。

経済力をつけた民衆は、自治組織を結成して支配者から自立していきます。惣村です(中世⑦参照)。京都などの都市でも町人による自治が行われるようになりました。

こうして経済的にも社会的にも成長した民衆が、文化の担い手となったのです。

では、民衆を担い手とする文化にはどのような特徴があったのか?端的に言うと、集団の芸能・娯楽ということです。

連歌も、喫茶も、能も、みんなで楽しむものです。そして、そこには惣村や都市の自治組織が基盤としてありました。

民衆の間で育まれた文化に、やがて貴族や武士たちも惹きつけられていきます。こうした中で、たんなる娯楽ではなく芸術的にも洗練され、現代にも受け継がれる民族的な文化となっていくのです。

また、武士や民衆が仏教の新たな受容者となり、鎌倉仏教が流行するわけですが、この点については以下のポイント集をお読みください。


文化③・中世の文化

Q1 鎌倉仏教が流行した要因は?

A1

①成長した武士や民衆が、戦乱が相次ぐなどする中で内面的な救いを求めた。

②そうした中で、新仏教の開祖たちは、市中で積極的に布教を行い、病人救済や道路の勧進などの社会事業にも尽力して、支持を集めた。

③学問・修行を中心とする旧仏教の煩わしさから解放し、念仏・唱題など日常生活において実践できる平易な教えを説いた。(選択・専修・易行)


Q2 鎌倉文化の特徴は?

①成長した武士が文化の担い手となり、素朴で質実な気風を持ち込んだ。

②公家は伝統文化を継承する役割を果たした。(有職故実)

③中国(宋・元)との間を往来した僧侶や商人によって、禅宗の文化がもたらされた。


Q3 室町時代の文化の特徴は?

A3

①惣村や都市の自治組織を基盤に民衆芸能(連歌・喫茶など)が発達し、公家や大名などの支配層にも受け入れられた。

②幕府が京都に置かれたこともあって、公家・武家・民衆の諸文化の融合が進み、そこから、わび・幽玄を基調とする民族的な文化が生み出された。


Q4 室町時代において禅僧はどのような役割を果たしたか?

A4

①水墨画や五山文学など、大陸文化の摂取に大きな役割を果たした。

②語学力や儒教的素養を活かして、幕府の政治・外交顧問として活躍した。

③祠堂銭の運用や荘園の経営など、五山の経済力は幕府の資金源にもなった。


Q5 書院造の特徴は?

A5

○伝統的な寝殿造を母体としながら、禅の簡素さが取り入れられ、今日まで続く和風建築の起源となった。


Q6 能はどのように成立・発展したか?

A6

①社寺の祭礼として行われていた滑稽な猿楽能に、田植祭の神事芸能であった田楽が取り入れられ、能が成立した。

②南北朝期には、寺社の保護を受けて専門的な芸能集団として座が結成され、京を中心に各地でさかんに興行が行われた。

③北山文化の時期には、大和猿楽四座の一つである観世座から観阿弥・世阿弥父子が現れて将軍足利義満の保護を受け、幽玄の精神を加えて能を芸術の域にまで高めた。


Q7 戦国期に京の文化が地方に波及したのはなぜか?

A7

①応仁の乱によって京都が荒廃したため、貴族や僧侶が戦国大名を頼って地方に疎開した。

②戦国大名も富国強兵を図るため、学問的素養のある彼らを積極的に城下町に迎え入れた。

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