『東大のディープな日本史』と〈教育の機会均等〉
お蔭さまで拙著『東大のディープな日本史』は多くの読者に恵まれました。これもさまざま人の支えによると感謝申し上げます。
東京大学の入試問題をただ解説するという本を私が執筆した動機は、「東大の日本史の問題は面白いから世に知られるべきだ」という単純なものでした。
しかし、書き進めているうちに、私が20年以上にわたる予備校講師生活を支えてきた一つの思いにたどりつきました。それが〈教育の機会均等〉です。この記事ではその点を掘り下げたいと思います。
『東大のディープな日本史』に対しては、「東京大学の入試問題なのだから途轍もなく難しいのかと思っていたが、学校で教わった内容で十分理解することができて驚いた」というような感想を多くの方からいただきましたが、わが意を得たりという思いです。
大学入試は、大学で学ぶにふさわしい人財を見極めるために行われます。そして、その目的を達成するには、高校で学習する内容、すなわち、学習指導要領に沿って出題されなければなりません。
もし仮に、学習指導要領を逸脱した出題がなされたならば、どうなるでしょうか? 合格するには、高校の授業以外に特殊な訓練を受ける必要が生じます。それが、優秀な学生を選抜するという趣旨に反することは明らかでしょう。特殊な訓練が受けられるかどうかという社会的・経済的条件によって、合否が決まってしまうのですから。
私が文章に高校用の教科書からしばしば引用し、その内容に即した説明に徹してきたのは、東大の入試問題であっても、いや、東大の入試問題だからこそ、高校の学習範囲で無理なく解けることを実証するためでした。
一部の予備校講師が、自分の授業を受けなければ東大には合格できないと称して、秘密結社のように生徒を囲い込もうとしていることを、私は知っています。そういう講師にとって、教科書で解けることを実証した私は迷惑な存在なのかもしれません。
しかし、そんなこととは全く無関係に、東京大学は学習指導要領を遵守した出題を徹底しています。そして、そのようにして、すべての高校卒業者に門戸を開放する形で、〈教育の機会均等〉を保障しているのです。
ですが、現実には、合格者は都市圏の中高一貫校に集中し、親の平均年収も他の大学を上回っており、〈教育の機会均等〉が実現しているとは言えません。このような状況が生じているのはなぜでしょうか?
筆者は各地の高校で受験指導や講演を行なっていますが、そもそも東大を目指さないという現実に直面します。潜在能力はあるのに、「自分には無理だから」と尻込みしてしまう。逆に、東大を受けたいという生徒に、こともあろうに高校の先生が「お前には無理だ」とストップをかけてしまう。受けないのに受かるはずがありません。
こうした状況に不利益を被っているのは、他ならぬ東京大学でしょう。多様な人財が集まらなくなっているのですから。東京大学が2016年度から開始した推薦入試はお世辞にも成功しているとは言えませんが、現状を打破したいという狙いがあると私はみています。
さて、話を戻しましょう。『東大のディープな日本史』には、なんと小学4年生の読者もいます。そして、「僕も東大を目指そうと思います」という感想をいただきました。
「自分が東大を目指してもいいんだ」と、一人でも多くの高校生に勇気を与えることができたならば、それを通じて、〈教育の機会均等〉の実現に少しでも貢献することができたならば、東大の入試問題をただ解説するというよく分からない本を意味もあったと思います。
※『東大のディープな日本史』はいま、新書半分3冊分の内容が文庫版2冊に収録されています。
https://books.rakuten.co.jp/rb/14270578/?l-id=search-c-item-text-03
https://books.rakuten.co.jp/rb/14304762/
※この記事は、『東大の日本史「超」講義』(ベストセラーズ)に書いた「おわりに」をもとにしています。
https://books.rakuten.co.jp/rb/13453361/?l-id=search-c-item-text-07