日本史論述・チャレンジ課題・近世

今回は、近世のポイント集が完結したところで、古代・中世に引き続きチャレンジ課題です。

繰り返しになりますが、この課題は、私が出講している高校の課外講座で、毎回の授業の終わりに取り組ませているものです。完璧な答案を仕上げるというよりも、教科書の該当箇所を読み、自分でまとめ直すことに力点を置いています。

なお、授業用の課題という都合上、問いとして練り切れていなかったり、解釈が多様に考えられたりするものもあります。これも上記の目的を優先したものとご理解ください。

それでは皆さんもぜひ教科書を片手に挑戦してください。

1.16世紀半ばにヨーロッパから日本に伝わったキリスト教が、短期間のうちに西国を中心に浸透したのはなぜか。キリシタン大名がとった政策を踏まえて考えなさい。

2.太閤検地で確立した一地一作人の原則について、その意義も含めて説明しなさい。

3.江戸幕府が大名の改易・減封・転封を行うことができたのはなぜか。将軍と大名の関係を踏まえて説明しなさい。

4.近世において村や町の寺はどのような役割を果たしていたか。幕藩体制の特質を踏まえて考えなさい。

5.対馬の宗氏が日朝の国交回復に尽力した理由を考えなさい。

6.17世紀半ばに殉死が禁じられたことの意義を説明しなさい。

7.近世において全国の産品が三都に集まったのはなぜか。考えなさい。

8.近世中期(18世紀)に惣百姓一揆が行われるようになった背景を説明しなさい。

9.足高の制の内容と目的を説明しなさい。

10.田沼意次が南鐐二朱銀を鋳造した意図を説明しなさい。



〈解答例〉
1.イエズス会は布教を許可した大名の領国にのみ貿易船の入港を認めたため、戦国大名は宣教師の布教活動を保護した。洗礼を受けたキリシタン大名は、霊父制度を利用して家臣や領民を入信させ、宗教の力により結束の強化を図った。

2.一地一作人とは、一区画の土地の耕作者を一人に確定する原則のことで、検地帳に石高とともに耕作者が記されたことで確立した。この結果、土地をめぐる複雑な権利体系が解消されて荘園が消滅するとともに、耕作者の直接支配が可能となった。

3.将軍と大名とは、全国の支配者である将軍が石高を基準に知行地を給付し、大名がそれに見合った軍役を負担するという形で主従関係で結ばれており、それゆえ、将軍は一時的な預かりものにすぎない大名の所領を自由裁量することができた。

4.幕府は各地の寺院を本末制度によって宗派ごとに全国的に組織化する一方で、民衆を檀家として所属させる寺請制度の下、結婚や奉公の際には身許証明書として寺請証文を発行するなど、村や町の共同体に根づく寺院に民衆統制の役割を担わせた。

5.耕地に乏しい対馬の宗氏にとって朝鮮との貿易再開は死活問題であり、貿易の利潤を知行の代わりとして分与することで、家臣とも主従関係を結んでいたから。

6.主君の死後も跡継ぎに仕えることを義務づけることで、個人の関係ではなく家臣の家が主君の家に奉公するという主従関係のあり方を明示し、下克上を否定した。

7.近世において人口は江戸が約百万人、大坂・京都がともに約四十万人と三都に集中していたため、貨幣を入手するには蔵物・納屋物を三都の市場で売買する以外になかったから。

8.貨幣経済の浸透や幕藩の年貢増徴策によって困窮する百姓が増加しており、年貢の減免や専売制の廃止を求めて全村民で蜂起ししたため。

9.足高の制とは、役職ごとに役高を設定し、それ以下の家禄の者が就く場合に在任中にのみ不足の役料を支給する制度である。これにより、家格の低い者でも登用を可能とするとともに、人件費の節約を図った。

10.定量の計数銀貨を発行することで、貨幣単位を金を中心に一本化するとともに、江戸地廻りが発達する中で、大坂中心の銀遣い経済圏を江戸中心の金遣い経済圏に組み込む形で統合しようとした。


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