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日本史論述ポイント集・近世④

今回は、17世紀後半の幕政の安定と経済の発展についてです。

17世紀後半の幕政のというと、「武断政治から文治政治への転換」という図式で捉えられますが、山川詳説日本史では、もう何代か前から「文治政治」の語は用いられていません。

たしかに、「いわゆる文治主義」という表現は出てきます。しかし、記述はむしろ〈秩序と平和の安定〉という点に重きが置かれています。

家康・秀忠・家光の時代に築かれた支配秩序を、いかに安定させるかという方向性(その中に文治主義も位置づけられます)で捉えると良いでしょう。

そして、そのような社会の安定を背景に、経済は発展し、三都を中心とする全国流通網が形成されていくのです。


近世④・17世紀後半の幕政の安定と経済の発展

Q1 17世紀半ばに幕政はどのように転換されたか?また、その背景には何があったか?

A1

①17世紀前半までに幕府の機構が完成する一方で、改易で生じた牢人が増加し、不満が高まっていた。

②平和が続き、社会秩序が安定する中で、戦乱をのぞむ「かぶき者」が江戸の治安を見出していた。

③こうした中、3代家光が亡くなり、幼少の家綱が将軍位についたのを機に、江戸で慶安の変がおこった。

④幕府はそこで、儒教的な忠孝・礼儀を裏づけとして秩序の維持を図る方針に転換した。


Q2 殉死の禁の意義は?

A2

①主君の死後の殉死を禁じ、新たな主君に仕えることを義務づけることで、主従関係を属人的なものではなく、主君の家と家臣の家との関係として明示した。

②これにより、下克上はあり得なくなった。


Q3 元禄金銀の改鋳が行われた理由とその結果は?

①17世紀後半には、金銀産出量の減少による収入の減少と、明暦の大火後の復興費用や寺社造営費などの支出の増大で、幕府の財政は悪化していた。

②そこで、勘定吟味役荻原重秀は、金含有量の少ない小判を鋳造し、改鋳差益(出目)で財政を補うべきことを献策した。

③しかし、悪貨の流通は物価の上昇を引き起こした。


Q4 問屋商人の成長に対して、幕府はどのように対応したか?

A4

①17世紀後半、問屋商人は商品の受託や仕入れを独占して全国流通の中心を占めていた。

②問屋商人は同業者で仲間を結成し、独自の掟を定めて営業権を独占しようとしたが、幕府は当初、自由競争を促す立場からこれを認めなかった。

③しかし、18世紀前半の享保の改革において、営業税(運上・冥加)の納入を見返りに営業権(株)を認める政策に転換し、株仲間を通じて流通の掌握や物価の調整を行おうとした。


Q5 三都のそれぞれの性質の違いは、

①「将軍のお膝元」と呼ばれる江戸は、政治都市として武家屋敷が集中し、また町人も集まって、日本最大の消費都市となった。

②「天下の台所」と呼ばれる大坂は、諸藩の蔵屋敷が立ち並び、全国の産品が集まる流通の中心となった。

③「千年の古都」と呼ばれる京都は、朝廷や多くの寺社が存在して伝統的な権威を支えるともに、西陣織・京焼など高度な技術を用いた手工業も栄えた。


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『東大のディープな日本史』著者

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