日本史論述ポイント集・古代②
私は、東大・一橋大などの本格的な論述問題を課す大学を目指す受験生に対しては、講義の最初に「なぜ論述で問われているのかをつねに意識しながら問題に取り組み、答案を作成しなさい」と言って聞かせています。
人名や用語などの知識量を問いたいのならば、短答形式の問題を出せば良いだけの話だ。それとは違うものを問いたいから論述問題を課しているのだ。と。
ある史実の背景や他の史実との関係、影響・意義などは、短答形式では問えません。正誤問題でも限界があります。文章で書かせることでしかその理解は試せないからこそ、東大や一橋大は論述問題にこだわるのです。
さて、文章が書けるようになるには、文章で理解している必要がある。だから、論述に向けた学習の基本は教科書の読みである。これは前回述べたとおりです。この「ポイント集」を教科書の精読に活かしてくれればと思います。
今回は、3世紀半ば〜6世紀のヤマト政権についてです。古墳の成立・発展とヤマト政権の状況を重ね合わせるように理解してください。
古代②・ヤマト政権の成立と発展
Q1 古墳の出現が意味することは?
A1 共通の墓制をもち、また、大規模な労働力の徴発を要する古墳の築造開始は、大和地方を中心とする政治連合の(ヤマト政権)の成立を意味する。
Q2 中期古墳(5世紀)の特徴と、そこからうかがわれるヤマト政権の様相は?
A2
①副葬品が銅鏡・勾玉などから武具・馬具などへと変化し、各地で前方後円墳が築造されるようになったことは、ヤマト政権の支配者が武人的性格を強め、支配領域を拡大していたことを示す。
②一方で、造山古墳など地方にも巨大な古墳が見られることは、地方豪族も強い力をもち、大和政権内で重要な位置を占めていたことをうかがわせる。
Q3 「ワカタケル大王」と読める銘のある鉄剣・鉄刀が出土した意味は?
A3
①5世紀にヤマト政権が関東地方から九州地方北部まで支配領域を拡大した。
②漢字を大陸から受容し、渡来人を史部として文書を作成させて、統治に利用した。
Q4 倭の五王が遣使を行った理由は?
A4
①朝鮮半島における軍事的地位(安東大将軍)を得て、鉄資源を確保する。
②服属を進める地方豪族に対し、冊封を受けた大王の地位(倭王)を示す。
Q5 後期古墳(6世紀)が小型化・群集墳化したのはなぜか?
A5
①ヤマト政権が地方豪族を服属させ、広域連合から中央集権型へと性格を変化させた。
②農業生産力を向上を背景に有力農民層が古墳を築造するようになった。そのことは、追葬可能で家族墓的な性格をもった横穴式石室からもうかがわれる。
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