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オオナリ・ミーツ・ハマグチ

某カフェ(以下「Kカフェ」とする)の階段を上り、Bランチ(カレー)とアイスライチ茶を注文し、いちばん奥のカウンターに座ると、マスターはどうやら鼻声だ。風邪か、花粉か、鼻炎か。最近は昼と夜の寒暖差が激しい。体調を崩すのも仕方がないですよね…なんて話していると、マスターがあることを告げた。どうやら濱口竜介がこの後Kカフェにやってくるらしい。偶然だ。

濱口竜介というと、映画監督であり、それもただの映画監督ではなく今の日本映画を引っ張ってゆく第一人者と言っても過言ではないほどの映画監督だ。学生時代に8mmフィルムで撮影した『何くわぬ顔』から彼の映画作家としてのキャリアは始まり、大学院の卒業制作に『PASSION』、5時間にもおよぶ超大作『ハッピーアワー』、昨年世界中を騒がせた『ドライブ・マイ・カー』などの作品がある。

その濱口監督がKカフェに来るというのだ。僕が今いるKカフェに濱口監督がくる。その予定時刻の1時間ほど前から僕はソワソワし、身体が強張った。それでソワソワしながらカレーを食べ、ドキドキしながらライチ茶を飲み干し、階段を登る音が聞こえてくればそちらを振り返り、ウキウキしながらその時を待った。

そして予定の時刻がくる数分前、濱口監督のチームがやってきた。いかにも映画を作ってそうな若いスタッフ3人を引き連れている。ふと最近の記憶を思い出した。いかにも映画の宣伝配給を手伝っていそうな僕ら学生3人は須藤蓮という映画監督に連れられ、京都のお店を回った。あの頃、毎日『逆光』のことばかりを考えて、無我夢中にしがみついていた。楽しかった。濱口チームの3人が羨ましかった。Kカフェの空間をひとつずつ確かめるように椅子に座っては写真を撮っていく。いわゆるロケハンだ。濱口監督の次作はもう撮影の準備段階に入っており、その撮影場所の候補のひとつにKカフェが入っているというわけだ。ということは、もうすでに脚本は出来上がっており、キャストも固まっているだろう。そして最小単位の人数でロケハンに来ていたことを鑑みると、次作もこれまでのようなインディー路線で映画を作るのだろう。という推測をしてみたりする。

『永遠に君を愛す』では僕の尊敬するギタリスト・長岡亮介が登場し、『ドライブ・マイ・カー』では広島の実家がある団地が映り、自作ではかもがわカフェが映る(かもしれない)。濱口竜介が僕に近づいてきているではないか。3つくらい向こうにある濱口作品のどこかで、僕がチラッと登場している可能性もあるかもしれない。けれど、須藤蓮と寸劇のようなことをして遊んでいると、「演技はやめときな」と言われたことがあるから、僕が映画に出る可能性はきっとない。

横で話をするミシマ社の人の話よりも、目の前にあるライチ茶よりも、何よりも濱口監督が今ここで何をしているのかが気になり、チラチラみてしまう。声をかけたい。けれど声はかけられない。お仕事をしている大映画監督に「ファンです」と声をかけるなんて野暮なことはしたくないし、そもそも声を欠けたところでガチガチに緊張して何も話せないだろう。なので、カウンターから、窓際のテーブルに座る濱口竜介を眺め、その姿を目に焼き付けた。そしてその日は僕の興奮冷めやらずで、何を考えても行き着く先は濱口竜介なのであった。

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