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『麗子像』で有名なのは岸田劉生

 MoMA Kyotoこと京都国立近代美術館が岸田劉生の絵画を42点ほど収蔵したというニュースを知ったのは、昨年の春のことだっただろうか。当初の予定であれば、昨年の秋には同美術館で展示される予定だった気がするが、22年の1月29日から岸田劉生展が始まった。岸田劉生というと、美術や日本史の教科書で出てくる『麗子像』が有名で、日本が世界に誇る芸術家の1人である。渋みを持った赤褐色の背景に、前髪を切りそろえた丸い顔の少女が不貞腐れたような表情で座っている。これが岸田劉生の愛娘、麗子だ。『麗子像』はとあるひとつの作品ではなく、様々な麗子が様々なパターンで描かれている、いわば、一連のシリーズものの作品である。クロード・モネの『睡蓮』と似たようなものだ。『睡蓮』もとある絵画を指すのではなく、ジヴェルニーの自宅の庭に浮かぶ睡蓮を描き続け、その一連の作品が『睡蓮』と呼ばれるようになったらしい。

 今回の岸田劉生展は、岸田劉生の若い頃から晩年までの作品が年代順に展示されており、彼の38年という短い人生を展示室という空間の中で負うことができる。若い頃の作品は、油絵具で描かれた自画像や友人の肖像画、風景画が多い。曖昧で抽象的だが力強い筆のタッチを重ねながら対象を描いていく様は、どこか印象派絵画の空気を漂わせる。
 『夕陽』という作品の中での空の描き方が非常に興味深い。画面中央最上には、太陽と見られる赤い玉があり、それを囲うように、太陽の光が太い線で描かれる。これはゴッホの名画『星月夜』の空の描き方の技法と共通する。
 自画像が2枚あった。『外套を着たる自画像』と『自画像』。これらは1912年と1913年に描かれた作品で、約1年の月日しか経過していないのにも関わらず、この2人の岸田には大きな違いがある。『外套を着たる自画像』の方は、20歳の頃の岸田劉生だ。20歳にしてはあまりに大人びている気もするが、ハットを被り、少しはにかみ、鮮やかな色使いもあってか、若々しく、凛々しい岸田劉生であるように感じる。
 一方で、1年後に描かれた『自画像』は地味な色が使われ、表情はない。目に力もない。とても20代のスタートを切ったばかりの青年には見えない。現在同じ年代の僕は、もっと目をキラキラと輝かせ、毎日を溌剌と生きている。当時の岸田劉生に何があったのか、僕は岸田劉生専門家ではないのであずかり知らぬことだが、この大きな変化は興味深い。展示室の解説パネルにこれについての説明があったのかもしれないが、作家本人よりもその作品に興味をもち、説明文よりも作品をじっくりと見たい僕は、しばしば雑に解説を読むことがある。

 些か乱暴な筆跡で対象を曖昧に描き、抽象的な余地を残す印象派的な絵画を描いていた初期の時代に、僕が興味を持つ絵画が集まっていた。僕が思うに、絵画が絵画たらしめる要素は、人間の手によって描かれた跡を識別することができるという点だ。筆致が滑らかで写実的な絵画は美しいが、僕はそれを前にしてもなんの高揚も覚えない。絵画は写真に勝らない。だから僕は、見えるはずの景色の中で何かが意図的に省略されて描かれていたり、景色の中で見えるはずのない筆跡が力強く残っている絵画と対峙すると熱いものを感じ、さらには興奮を覚える。

 その後の岸田劉生はルネサンス絵画に影響を受け、宗教画を制作したり、写実的な静物画を描いてみたり、愛娘・麗子をモデルにいくつもの名画を残したり、掛け軸などの日本画も作っている。短い人生の中でこれほど多種多様な作品を残し、しかも、それらが多くの人に影響を与えている。何はともあれ、岸田劉生は日本美術の巨匠である。
 ちなみに、巨匠をイタリア語でいうと「マエストロ」だ。

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