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「書く」ことの副作用【2023年10月14日】

いきなりなんだけどさ、俺、本屋が好きで。今日も午前中本屋に寄って、気づいたら1時間くらい経っちゃってたんだよね。今話題の新書やら小説から、政治経済学、教育学、啓発本、ビジネス本、いろいろ見て回ってさ。

それで、「ジェフ・ベゾスの生の声」とか「スティーブ・ジョブスの生の声」とか「イーロン・マスクの生の声」とか、成功者の生の声シリーズがあって、めっちゃ読みたくなって。値段みたら「580円」で、安っ!と思って、5000円分の図書カード握りしめながら、7冊まとめ買いしようと思って、レジに向かった。

そしたらね、1冊「1580円」で、会計が12000円とか超えちゃってさ。流石にそんな大金持ってなくて、「すみません、値段勘違いしちゃってて、」って言って、イーロン・マスクとジェフ・ベゾスだけ買った。
いつか、このシリーズ揃えたいと思います!

そんなおっちょこちょいなプチハプニングがありました、と。

ってこんな話はどうでもよくて。
すみません、前置きがめちゃくちゃ長くなりました。

noteを書き始めて、5日が経ちました。やっぱり「書く」っていいな〜って、思うんです。

今の自分が考える、書くことによる副作用って、2つくらいあると思ってます。

1つ目は、「世の中、身の回りの出来事に関心が向く」ということ。

毎日、夜にnoteを書くんですけど、日中は「今日のnote何をテーマにしようかなー」って思考が働くから、目の前で起きる出来事、目にした情報に敏感になるんです。不登校が過去最多になったニュースを見て、改めて不登校ってなんだろうなって考えるようになったし、悩んでる高校生と話して「悩む」ってなんだろうなって考えるようになったし。「楽しい」ってなんだろうなーとか、俺ってどんな時幸せに感じるんだろうとか、出会う言葉、景色、人、出来事、全てがテーマになり得るんです。

そして、それを書くことで整理できるから、より自分の中でも深まっていく感覚がある。

これは、いい副作用だなって思う。

2つ目は「残る」ということ。書いたことは残るんです。残ると、振り返ることができる。
一ヶ月前、どんなことに関心を持って、どんなことに悩んでいたかなんて、覚えてないはずだよね。でもね、書くことによって、一ヶ月前の自分の思考に戻れるんです。そして、「この時の俺はこんなことで悩んでたんだな」って懐かしんだり、「うわ、俺こんなこと言ってるじゃん!」って過去の自分に励まされたりする。そして、思考が更新されていく過程も見れちゃう。

本屋が好きな理由は、時代を超えて、距離を超えて、その人が書いたものを通してその人の価値観や思考にたくさん触れられるからなんです。本屋には、無数にそれが転がってる。それをもとに考えられる。

ある本で、「考える」は「感謝する」からきていると書いていた。(ちょっと詳しくは忘れたけど、)
英語で考えるは「think」で、感謝するは「thank」だと。
ドイツ語も同じように、考えると感謝するの単語の作りが似ていて、語源はそこからきているのだとか。

書いたものを通して、僕らは誰かの考えに触れられる。それをきっかけに、自分自身で考える。

誰かの「書く」という行為をきっかけに考えが広がる。

考えられることに感謝をしたいものだ。

今日も読んで頂きありがとうございます。
みんなどんなテーマについて考えたいですか?

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