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「自己決定」【2023年10月15日】

まずは、この図をご覧ください。

幸福感と自己決定―日本における実証研究

ある研究のデータです。
この研究では、所得や学歴よりも「自己決定」が幸福感に強く影響しているということが明らかになりました。

実際に、国連が発表する「世界幸福度ランキング」を見れば、北欧が上位に位置し、日本は遥か下に位置していることがわかります。

「世界幸福度ランキング」

考えてみれば当然の結果なのですが、そもそも学校教育が、子供の自己決定する場を奪っている。主体性を奪っている。けど、それに気づいてない親や教員たちが多い。皆、良かれと思ってやってるんです。

そう強く主張するのが、現 横浜創英中学・高等学校校長の工藤勇一先生です。

今日は、工藤先生のトークイベントに参加してきました。

子どもと話す民主主義

デンマークで50年以上生活している澤渡夏代ブラントさんとの対談を通して、日本とデンマークの違いを聴きました。

学んだことはたくさんあり、長くなってしまうので今日は「自己決定」に関しての学びの部分だけシェアしたいです。

自己決定する機会が多いと、高い幸福感に繋がるという話。逆を言えば、自己決定する機会が少ないと、幸福感が下がる。

まさに後者が今の日本の現状です。特に学校教育の仕組みそのものがそうなっている。与えてばかりいるんです。自分の頭で考える人を育てると言いながら、いつまで経っても授業形態が変わってないんです。いろんな学校を訪れてみると、「学び合い」をテーマにグループ活動が増えていたり、昔みたいに全員が前を向く一斉授業型はかなり減った気がします。

でも、根本から見直さなければいけないと思うんです。たとえ、グループワークがメインとなり学び合いが生まれていたとしても、その題材は教師から与えられたもの。本来、子供が自分のペースで自分の能力に合わせて、題材を自分で選べる仕組みが必要なのではないかということ。

与えらることに慣れ、サービス化に慣れてしまうと、人は不満を言うようになります。もっといいサービスを求めるからです。

もっとわかりやすく教えて欲しい
先生の授業はつまらない
なんでこんなこと勉強しなきゃいけないの

でも、もし題材を自分で選んでいたら、そんな不満は出るでしょうか。

自分で選ぶと言うことは、自分の選択に責任が生じます。その当事者になります。だから、他人に対して不満が出ることはないんです。

どうやったらもっとわかるようになるかな
どうやったらもっと早く解けるかな
どう考えたらいいんだろう

ベクトルが自分に向きます。そうやって、徐々に自分の頭で考えられる人が増えていきます。

幼児教育から、日本は見直さなければいけないと言います。とにかく、大人が手をかけすぎなんです。

面白い具体例がありました。

親と子供がまだ、保育園に入学する前のことをイメージしてください。親は、子供になるべく社会に触れさせたいと考え、近所の公園に連れていきますよね。そこでは他の子供も遊んでいます。

ここで、日本の親は、その他の子供に「ねぇねぇ一緒に遊んでもいいかな?」と声をかけます。すると、その相手側の子供の親が「あー、どうぞ!いいですよ」と言う。そして、自分の子供に「ほら、ありがとうは?」と言う。

多分、ほとんどの人がイメージできるんじゃないかなと思います。日本中にある光景ですよね。

でも、これって、親が介入しすぎで子供が自己決定しているわけではないんです。でも、親は悪気があるわけではなくて、良かれと思ってやってるんです。それが気付かぬうちに、子供の主体性を奪っていくんです。

本来、砂場で相手に道具を借りるのも、遊びに入れてもらうのも子供本人が選び決めること。そこでは、当然トラブルが起きますよね。道具を返さないとか、いたずらしてくるとか。
それでも、親は介入しない。我慢して見届けるんです。

次第に、その場は子供が当事者となって、問題解決をしていくようになるんです。

道具を返さない自分の子供に親が介入して、「ほら返しなさい」「ごめんなさいは?」
というのが、まさに子供の当事者意識を奪う行為なんです。

子供は、何かトラブルがあれば大人が解決してくれる、大人が介入してくれると思うからです。

そうやって、幼児教育の場から当事者を育てていく教育が必要で、それには訓練が必要なんです。長い年月が必要なんです。大人の我慢が必要なんです。

日本の場合、なんでもかんでも、丁寧に手をかける親や教師が良いとされてきましたが、それは完全な勘違いであると。

よく、「褒めて伸ばす」と言うが、自己決定していない子供をいくら褒めても自己肯定感は高まらないと言います。

いかに生活の中から自己決定の場を、機会を作っていくかがすごく大事なんです。

デンマークでは、それが生活の一部としてごく当たり前にあるみたいなんです。それが市民教育だっていう認識です。

民主主義にほんとうに必要なのは、「主体性」と「当事者意識」

ただし、学校現場で使われる「主体性」は間違った使い方をされてるのではないかと指摘されています。

「(教師が思った通りに)動いてくれる子」は「主体性がある」なんて見方をされます。

ほんとにそれでいいのかな?

社会が変わるには、学校教育が変わる必要がある。学校が変われば社会は変わると、工藤先生は主張します。

そして、その仕組みを今、横浜創英で実現しようとしています。

これからの工藤先生の動きに、ますます注目していきたいです。

ちなみに、これらの内容はほとんど今日のトークテーマの中で出てきたお話です。僕の意見ではありません。偉そうに語ってますが、あくまでそのままの形でのシェアとなってしまいました。

今日も読んで頂きありがとうございました。
日本は変わらなければいけない。絶対に。

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