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「遊ぶ」ということの意味【2023年6月10日】

昨日、バイト先の居酒屋で、店長に

「そらは最近何して遊んでるの?」

って聞かれて、「遊んでないです!」って答えた。「嘘つけ〜(笑)」「いや、まじ遊んでないっすね(笑)」みたいな会話をした。

1週間の生活を振り返ってみると、サークルの会議かバイト(2個掛け持ち)かインターン(2社)かサークルか学校の課題かしかしてない。放課後、友達と飲みに行ったりなんてほんとにない。行きたくないわけじゃなくて、それ以上に自分に任された役割を全うしようとするだけで必死なのかもしれない。できてない部分も多々あるけれど。それでも、奇跡的に、インターンもバイトも、サークルも嫌々やってるわけじゃなくて、自分がやりたくて、選んで、やってること。だから苦痛じゃない。友達と遊ぶ時も楽しい。それはもちろん。もっと一緒にいたらきっと楽しいなと思う。けど、課外活動も自分にとっては楽しい。どっちが、とかは区別はできないけど、やりたいことを、選んでできてる自分は幸せ者だなと思う。

そうなった時に、ふと「遊び」ってなんだろうって思ったんだよね。

ゼミの先生が主催する「学びのフォーラム」に毎年参加させてもらってたんだけれど、そこである本を扱って、「遊びとは」について、高校生、大学生、現職の教員が同じグループで対話し合う回があった。

その本にはこんなことが書いてあった。

「遊び」を定義するのは難しい。「遊びとは〇〇のことである」などと言ったとたん、必ず例外が続々と出てくる。遊びは「活動の種類」ではない。「山登り」が遊びの人もいれば、それが仕事の人もいる。遊びはどこまでも遊んでいる当人にとっての意味づけの問題である。ここでは、多少の「例外」はあろうが、とりあえず「その活動がなんらかの別の目的を達成するための手段ではなく、それ自体が目的であるとしか言いようのない、自発的な活動」を遊びだと定義しておこう。

「わかり方」の探求-思索と行動の原点-/佐伯胖

その続きには、

「遊び」は「レジャー産業」という産業による商業活動に委ねられるようになったから、おかしくなった。

とか、

子供の世界では「遊び」と「学び」に区別はない一方で大人の世界では、「遊び」=暇つぶし、ただ楽しむことだけのためにやること、「学び」=勉強と区別される。

とかが書かれている。

その中でもすごく面白い話が、筆者曰く、「学び」と「遊び」を分離する考えが生まれたのは学校にある、と言っている。
「学校」は学ぶ場所で、学ぶ(勉強する)ことを主たる目的としているが、それだけだと疲れ果てるので、「休み時間」というものを合間に入れて、その休み時間に遊んでよい、という決まりを作ったことに端を発している、という。

「遊び」と「学び」はもともと渾然一体だった。しかし学校教育によって「勉強」が導入され、「遊び」は勉強の対立語となった。

「勉強」=「学び」-「遊び」

「遊ぶ」って、結局は当人が意味付けするものなのかなって思った。カラオケとかボーリングとか、いわゆる娯楽的な遊びも遊びだし、自分が楽しいと思ってやってることは全て「遊び」なのかもしれない。またはその延長線なのかもしれない。


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