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鳥人間日記:6日目2回目

心も身体も空っぽにしてみると

エゴは「そんなのつまらないじゃない」「なにもないじゃない」「地球に生まれてきた意味がないじゃない」などなどいろんな思考を巡らせる。

ただそこにじっと在る、ということができないのがエゴだから仕方ない。

空っぽの先は別に、空っぽじゃないよってことは
その無に対する退屈や恐怖予想を通り過ぎ
ただそこにじっと在って見続けないとわからないことだ。

空っぽは別に空っぽじゃない。

花や空、日の光や太陽、果物、植物、鳥

それら全てとの一体感に満ちている。

私はたまたま、
身体があまり自由ではない人間にジョインした魂だったこともあって
寝たきりでもできるような意識の探索が趣味で

そこにあるってことしかできない時間がたくさんあった。

最初は色々と経験や感情を積み重ねてきたエゴが死にたくなくて、
自分の想いを正当化したくて、もがきはしたんだけど

身体を動かせないから仕方なく、ただそこにいるしかなくて

そのうち記憶も曖昧になってゆき
空っぽになっていく自分を維持しようとすることさえ降参して

友達も、家族も社会も、
世界の全てから断絶したような感覚になって

なんもないやーって思ってたら

見切り発車でこんな鳥人間日記初めて
なんもないのにこんなに毎日、日記書いてるんだよ。

死んでも死んでも死なない何かが生きてるんだよ。

不死鳥のように死んでも再生してくる何か。

そこに私の本当のアイデンティティーを置いてるのだけど
それはこの3次元的な、地球的なものじゃない。

全次元を巡ってるもの、命そのもののような感じがしている。

命そのものが私という個体を通して溢れ出ている。

それの一つの形がこの日記なだけで

私はこの世界のどこにもいないことが

意識のぶっ飛び、鳥人間ライフなの。

宇宙鳥、オームは
縦軸でも横軸でもない立体空間を
現れたり、消えたりしながら生きています。

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