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鏡花先生のはなしだね 1

大学時代、時間を見つけては大学図書館に通い、登録されているデータベース ヨミダス(読売新聞)と聞蔵(朝日新聞)の紙面に載っている全ての"泉鏡花"を手元に置いておきたいという思いから4年かけて印刷した情報がいまや本棚の肥やしになっているのが可哀想で、学生時代に集めた鏡花の情報を九九九会にあやかって毎月23日に鏡花に関することを発信していけたらいいなと、自分の知識を維持するためにも……!
御付き合いいただけたら嬉しいです。

鏡花が初めて読売新聞に載ったのは1894年9月17日 朝刊3ページ(2017年12月11日調べ 【泉鏡花】ヒット検索)次に掲載される新聞小説 『不言不語』の予告が"なにがし"の名で載りました。
けれどこれは紅葉の作品にあたるので(岩波書店を基準としました。)泉鏡花ヒット検索で載っていたのは予告のみでした。今思えばどうして予告のみ反応したのか少し謎。
この後同じくなにがしの名で『予備兵』『義血侠血』の連載が続き初めて"泉鏡花"の名で載ったのは12月11 日 朝刊6ページ 『海戦の余波』の広告でした。ちなみに朝日新聞で鏡花の名が初めて載ったのは1894年12月9日 東京 朝刊6ページで同じ読売新聞に掲載されたものと同じ『海戦の余波』の広告でした。
紙面には、

全一冊和装美本 正價金十銭郵税四銭松校海軍中尉が見果てぬ海の外に船出してより一子千代太ハ父の雄々しき性を受けて波風起こる海の上に男女泣き叫ぶ難破船を扶けつめぐりゝて支那船の虜となりて日本男子の氣線を顧はしあるハ龍宮に遊びて淸兵に襷をむくひあるハ父海軍中尉との對面夢に似て夢ならぬ海戦の余波に湧き來れる海國少年の譚之と●めバ壮快淋漓剣舞百回せん……
(●は解読出来なかったもの。)

と記述があります。
朝日新聞においては、同じくヒット検索をするとこの記事が一番古いものなので読売新聞のことを踏まえると別名義でこれより前にも載っていたかもしれません。2022年に聞蔵(朝日新聞データベース)がリニューアルしたのでもしかしたら……

加えて、義血侠血は最初の3丁が鏡花であとは紅葉が執筆したと言われており、
原本(?)巻物(?)の冒頭には
「先生のおかげにてこれが新聞にいで候ときの嬉しさ忘れ申さず候」
とあります。

(詳しくはヨミダス・旧聞蔵を参照ください)
(義血侠血の内容に関しては四校記念館の展示より鉛筆で覚え書きしてきたものです。)

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