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音楽家と喫茶店

その親和性について。

今日は気まぐれに名古屋は大須のとある喫茶店に立ち寄った。昔ながらの内装の中ではあちらこちらから歓談の声。そうそう、こういうの。

そして軽食と喫茶を済ませ、満足して店を後にし、少しぶらついて家に着いた。

さて何をしようか。今日は左手の薬指の先だけ少し痛いのでギターを弾くのはよそう。曲の打ち込みも少し気分が乗らない。まあ寒いし珈琲でもいれようか。

そうして現在、覚醒成分の過剰摂取に至る訳だが、水を沸かしている間にとある考えが浮かんだのだ。

「(現代の)音楽家って喫茶店のようなものかもしれない。」

なにクソデカ主語を語っているんだとお思いかもしれないが、そういう考え事に耽けるのは日常茶飯事なのでご安心頂きたい。

話を戻して、どういうことか説明するとしよう。

まず、「人の集う場」や「話のきっかけ」として機能することが共通しているのではないかと私は思う。

誰かと何か話をする時、とりあえず喫茶店に足を運び適当な飲み物を注文して「いや〜オシャレですね〜」「そうなんですよ〜。で、あの話なんですが〜……」と会話が始まりダラダラするというシーンは多くの人が想像出来るだろう。

それと同様に、音楽(家)も「昨日の新譜聴いた?」「うんうん、どこどこがこうで……」という話のきっかけとしての側面も大きいように思ったのだ。

また、「私、ちょっとレトロなカフェが好きなんですよ〜」という話にスタバではなく「こぢんまりしてるんですが、こことかおすすめですよ」と相手にすすめて好みにはまれば「分かってる〜!」と思われたり、朝を運び続け常連になると次第に常連同士も顔見知りになるように、音楽も知っていることによる価値であったり所属として機能することもあるように思う。

そして、提供側のスタンスも、多様ではあるが通づるものがあるように思う。

ただただ珈琲を淹れることが好きで無限にできるので商売にしてる人と、音楽にずっと触っていたくて依頼をいくらでも受けれる人は近いように思うし、こだわりの1杯を入れたい人と渾身の1曲を作りたい人も近いように思う。

ということで喫茶店と音楽家について考えたのだが、喫茶店に限った話ではない気もしてきた。まあ良いか。

膨らませれば「映え重視の店舗の増加と流行意識で同質化しがちなボカロシーンと消費」とか言えなくもないかもしれないが、触れると良くない気配がするのでここで終わりとする。

……淹れた珈琲はすっかり冷めてしまったのでミルクでも加えて温めるとしよう。


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サシ(半角)
余剰があったらお恵みを… 懐が暖まれば書く気も湧くはず…