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思い出の話

 2024年1月。

 引っ越しの片付けをするためにまずしたことは、母方の祖母の手紙をまとめることだった。

 祖母は2017年末ごろこの世を去った。不孝ものだから、命日は覚えていない。誕生日も何も覚えていない。これは身内でもそうなので単純に私がそういう人間というだけだ。涙は出なかった。ただ、周りの悲しむ人たちを見て(貴女は環境的にひとりだったかもしれないが、けして独りではなかったのだ)とぼんやり考えたことを思い出す。

 私が再び広島を離れたのが2016年の春。ほんの一年ほど、毎週日曜日に電話をするのが決まりで、楽しみだった。ときおり水や米、みかんを送ってくれた。その中に手紙が入っていることがあった。その手紙を、引っ越すときにまずまとめたのだった。
 特別な内容ではない。元気にしているか、そうであればよい、のようなことだけが、当たり前の日常のようなことが書いてある。ただ、今でも読み返すと涙がどんどん滲んでくる。愛おしいが還らない日常ほど遠いものはない。取り戻せない喪失ほど悔しいものはない。それでも、私はまずまとめるほどにこの祖母の晩年の手紙が大切だった。

 祖母は電話口で口癖のようにいつも「あの頃が良かったねえ」と言っていた。しんじつ、私も同意見だったから「そうだねえ」と返しては、私が幼児の頃からの思い出話に花を咲かせては互いにしんみりしつつ、健康を祈った。本気でそう思っていた。正月、親戚がほとんど揃わなくなっても私はフェリーで祖母の家に長逗留しに行ったし、なんとか島で働けないか四苦八苦したこともあった。夢は、破れたが。

 祖母の家の庭を、目の前の海を、港まで濃ぐ三輪自転車を、近所の手伝いのみかん収穫を、フェリーが行き交うたびにやってくる大波を、磯場で採った貝を食べたことを、藤棚の下でバーベキューをしたことを、子どもの頃浮き輪に紐を結わえられ沖に浮かびながら子守りされていたことを、それが怖かったけど祖母は笑い飛ばしていたことを、港で私の到着を待つ祖母の姿を、車で連れて帰られるときは見えなくなるまで手を振ってくれたことを、今でも思い出す。
 そして、当時も電話でそういう話をしていた。懐かしく、愛おしく、おそらく祖母も私もいちばん幸せな時間だったから。
 祖母が死んでからの人生は、正直に言うと消化試合だった。なるべく早く描き残し、なるべく早く逝きたいことだけが頭にあったように思う。それが今では、なるべく長くは生きてみようかと思えているから、人生というのはわからないものである。

 けれど、やはり祖母は私にとってかなり特別な、ほんとうに特別な人生だったから、喪失を「喪失」と表現するにはあまりにも小さく感じるほど、人生が千切れた。
 それでも涙は出なかったし、親戚の笑い話にも参加したりして何事もなく過ごして、京都に帰って、それから手紙を読んで独りでたくさん泣いた。つらくなれば祖母の手紙を眺めて、愛おしさを思い出すような日もあった。迎えに来てはくれないか……。

 それで思い出したが、不思議な夢を見たことがある。
 私の夢に現実に存在する人間が出てくることはかなり稀なことだ。そういうのはだいたい仕事の夢とかで身内が夢に出てくることはあの祖父ですら、ない。ただ祖母は、なぜか私の葬式に参列しているとかそういうよく夢に出るひとだった。
 夢の中で、私はいつものように祖母の家を後にする。私は子どもだったように思う。きっと私がしあわせだったときのすがただ。それで、車に乗り込み一番後ろの座席にいって手を振る。そこには記憶よりほんの少し若い祖母がいて、隣に見知らぬ男性がいた。 
 これは推察だが、あれは祖父だったのではないだろうか。私の祖父は漁師だったが、母が若い頃に亡くなっている。そこから祖母は女手ひとつで母含む3きょうだいを育てて、私たちが産まれてからは母の代わりに私たちの面倒も見てくれたひとである。
 その──おそらく祖父──男性と、あの家の門に並んで、ふたりで笑顔で手を振ってくれた。いつもみたいに。私から彼女たちが見えなくなるまで。私は名残惜しく大きく手を振ったような記憶がある。祖母たちは穏やかな笑みでゆっくりと手を振ってくれた。そして、そこで夢は終わり目が覚めたことも。それっきり、祖母が夢に出たことはない。

 あれはきっと別れの夢だったのだと今も思う。
 そして、祖母は天上で祖父と再会できて良かったのかもしれないと思っている。なんせ駆け落ち恋愛だったというんだから。
 そのくらい朗らかで、すてきな夢だった。ただ「さよなら」をするだけの夢だった。

 それはそれとして、私はまだ生きている。祖母の手紙束をまとめて書類類に混ぜ込んで紛失しないように箱入れをして、今それが書類ケースの中におさまっている。引っ越してきて、一度だけまた読んだ。
 かえらない日々を想うことの苦しさを考える。アーティストの音声もそうだけれど、ここ目の前に残っているものは、二度と新しいものはないし書き主は存在しない。だが、ちゃんとこの手にたしかに存在していた証しがのこっている。

 いつか私がここからいなくなったときに、この手紙を頼りにあの家に辿り着けるだろうか。会ったことのない祖父にうまく挨拶ができるだろうか。そういうことを夢想する。

 家から見える海は何も変わらない。
 けれどそれ以外は随分と変わった。

 2024年6月

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