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ついはに送る手紙のこと

大勢の人が歩いているのに
この交差点のなんと閑散としていることか
信号の灯りは消えて
空は夜が明ける前の暗さだ
みんな同じ方向に歩きながら
不安そうにあたりを見回している

ぼくはポストを探している
ついはという名の人に手紙を出すんだ
けれどついはについてぼくが知っているのは
彼女が自分の苦しみのことで精いっぱいで
自分が人を傷つけていることについては
何も気づいていないということだけ

今の仄暗さの中には
明るさへの微かな兆しもなくて
ときおり向こうから来る人たちとすれ違っても
暗さのせいで顔もわからない
電線だけが空よりも黒く
頭上をかすめて延びている

ポケットの中で握りしめている手紙が汗で湿らないかと
ぼくは少し心配になりはじめている
でも、ついはとは誰なのだろう
ぼくはどうして彼女を救わなければならないのだろう
大勢の人たちの中で
ぼくだけがそんな仕事を請け負うことになったのには
何か重大な秘密があるのだろうか

やがて大きな鏡の前にぼくはやって来た
鏡の中の世界は中世の風景画のようで
暗い空の下になだらかな茶色い丘陵が続いている
のぞきこむと後ろ姿の人が背中を少し丸めて
薄暗い空に向かってゆっくりと手を振っている
それは実にあてどない営みと見えた

鏡の中の後ろ姿のその人は
人を傷つけた記憶に苛まれているように見えた
鏡に向かってゆっくりと手を振ることを
たった今、ぼくは決心した



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