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昔より "懐かしい" という感情を好きになってきた。

日常生活を送る中で、過去に大事な時間を過ごした場所にふと訪れてみたり、久しぶりに昔好きだった曲を聴いてみたり、しばらく会っていない友人との思い出を振り返ったりすることがあると思います。その時に「懐かしい」という感情を抱くと思いますが、この感覚が苦手でした。最近は(少し歳を重ねてきたせいか)徐々に向き合えるようになっている自分がいます。そんな内容で今回のnoteを書いてみました。


20代の頃は "懐かしい" が好きではなかった。

「懐かしい」という感情を、20代の頃はあまり好きではなかった。
理由はどこか恥ずかしいし、むずがゆい気持ちになるから。過去の失敗話や自分が情けなく感じる話を思い出すと切ないし、悔しい気持ちになるので、蓋をしてきた。しかし、懐かしい土地に行ったり、懐かしい音楽を聴いたりして当時の記憶や考えていた事が掘り起こされたとき、その "懐かしさ" を好きになっている。ありのままの感情として心の中にスッと入ってくるようになったし、自らの情けない話も笑い話として愛おしくも思えてきた。刹那的な青臭い感情を受け入れられるくらい歳を重ねて心にゆとりが出てきたのだろう。

過去の失敗話が人格を形成する。

最近の世の中のコンテンツは、過去の苦労話をオープンに話すことで共感のストーリーで成立させている傾向にあると思う。自分も過去の失敗話や自らの情けない話はできる限り目を背けて考えないよう蓋をしている人間だったが、そういったコンテンツを通じて、全て曝け出してオープンに話す人は魅力的だし、共感するし、人間としての深みまでも感じる。全て自分自身を形成している要素として考えると一つも恥じることなんてないし、そのままを受け入れるべきなんだろう。結果的にそういうネタがある人の方が "面白い" し、興味が湧くし、人格としての深みが出る気がする。

感情の揺さ振られる経験が将来の投資となる。

"懐かしい" 感情を想起できるのは、過去の瞬間ごとに何か感情の揺さぶりや起伏のアップダウンが通常以上に生じた時。そういう経験を思い出として、自分を形成する要素として、昇華されるのであれば、遠い未来で自分が人生を振り返った時に "懐かしい" を感じられる。そうなるべく、全力で感情を揺さぶりにいく必要がある。そんなチャレンジを日々していく必要があるし、それが将来に向けた投資として、未来の種となる。