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「初体験」の機会を増やしたい。

少し怠けてしまっており、前回noteから期間が空いてしまいました。義務ではないものの、無理ない範囲で好きに続けていくためにも、今回久々のnoteを書くに至りました。


コインランドリーに行くという "初体験"

きっかけは日常の些細な出来事からだ。昨年末の大掃除の時、厚手の毛布とバスローブの洗濯をするため、家近くのコインランドリーに行った。

実はそれが人生初コインランドリーだった。
自宅周辺のエリアから検索し、Googleマップが示す、都内のビル街の中の少し古びた雑居ビルを見つけた。そのビルの少し暗い地下の階段を降りて目的地のコインランドリーに到着した。

中に入ると、そこには不思議な空間が広がっていた。生ぬるい空気、ほのかに香る甘い匂い、惜しげなく響く機会音、お互いに全く干渉し合わず隣同士で待つ人々……と、どこか知らない世界に入り込んだようだった。お金入れて洗濯が開始してから、待機時間を経て乾燥まで完了するまでの間、小一時間くらい待ち続けたが、その不思議な感情の正体がコインランドリーに行くという "初体験" にワクワクしている自分がいることに気づいた。そしてそれが久しぶりの感情で、少し心が豊かになった気がした。

歳を重ねて自由が増え、様々な経験ができるようになった。

歳を重ねるにつれて自由に使える時間とお金に余裕ができたことにより、様々な体験や経験ができるようになった。欲しいものも手に入るようになった。色違いの服やスニーカーをまとめ買えしたり、自分好みのインテリア家具を買い揃えたり、美味しいお店や高級なホテルにも泊まったり、行ってみたかった国や土地にも行ってみたり…。その全てが最初は「初体験」。24歳の頃に作った「やりたいことリスト」にストックしていたものだった。

ただ、歳を重ね、そのやりたいことリストは一定網羅できたような気がする(もともと達成可能な現実的な項目が多かったからかもだが)。リストの項目が消されていくにつれて達成感と満足度は高まっていった。それと同時に、心の充足感は満たされずにいることに気づいた。

経験が増えると共に初体験の機会が少なくなる。たいていことは体験してみると「こんなものか」と思ってしまう。決して悪い意味ではなく、達成するということで平常化されるから仕方ないこと。欲している時こそ求めたくなるが、満たされた瞬間に経験済となり、過去のものとなる。それはそれで寂しい。


24歳の頃、とあるお世話になった方から「自分の "幸せな状態" を言語化し、それを達成するためにやるべきことをリスト化し、できることから一つずつ達成していくと良いよ」と教わった。それを着実に遂行してみた。

人は「幸せ」になるために生きているし、仕事も趣味も、お金も時間も、その手段に過ぎない。その幸せの条件となる大半の項目を達成したようだった。

もっと「初体験」を増やしていきたい。

歳を重ねると、初体験の機会が少なくなる=経験値や知識量が増えていることなので、一見良いことに思えるが、自分のような "寂しさ" のような感覚を覚える人がいることも事実。だからこそ、新しい環境や刺激が欲しくなるものだし、それをしなくなる(現状維持する)と、自分のようなタイプの人間は幸福度が低下すると思う。

だからこそ、もっと自分がコインランドリーで感じたような些細な「初体験」の機会を増やしたい。もっと知らない世界を体感したいし、そのための刺激あるチャレンジをしていきたい。

今ではやりたい事も新たにリストに追加された。それを欲することで、この後の自分の人生も豊かにしていきたいと思う。