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新宿を放射能汚染した夢と寝ぼけた話

月に一回の投稿を目標にしているが、最近忙しくて執筆時間が思うように確保できない。加えて論文執筆が佳境に入り、なかなかそれっぽい話題をここに出すわけにもいかない。ということで、少々ブログじみた使いかたをしてみようと思う。

「夢日記を書くのはよくない」という言説をよく耳にするが、その根拠も知らないし、何だか妙に内容をよく覚えている夢だったので、少し書き留めておこうと思う。

その夜、僕は研究室の同期2人と共にある任務を遂行することになっていた。それは、東京新宿に放射性物質をばら撒く、というものだった。戦争で最近話題になった「ダーティボム」というものだ。これを新宿駅西口の広場で起爆させ、新宿を放射能汚染する、という任務だ。

同じ研究室には同期が5人、研究科には十数人の仲間がいるわけだが、どうやらこれは入学して最初に仲良くなった「元祖」の3人組でやらねばならない任務のようだった。「残りの皆に迷惑をかけるわけにはいかん、これは俺らでやらんとあかん」という共犯のO君の言葉をよく覚えている。

僕が手に持っていたのはそのダーティボムの弾頭だった。小型弾頭だったので重さは10キロ程度だったように思う。鞄に入っていたので、幸い周囲の目には触れずパニックにもなっていない。

これの信管を傘でぶっ叩き起爆できれば、放射性物質が飛散して新宿が汚染される…はずだった。勿論僕らも無事ではない。
しかし、どういうことかその弾頭からは信管が抜かれていた。予定通りの起爆が出来ない。手間取っている僕のもとに、不審に思った件のO君が駆け寄ってきた。事情を説明したら、「それは…しゃあないなぁ」ということになり、僕から弾頭入りの鞄を受け取ったそのO君はハンマー投げの要領で鞄をぶん投げた。落下の衝撃で弾頭が破壊されればワンチャン爆発して放射性物質が拡散されるのではないか、そんな期待だった。

鞄を投げてその場を離れ、渋谷道玄坂のあたりでもう一人の同期、K君と合流して新宿の放射線モニタを確認する。確かその世界では東京都庁が都内各所に設置されたモニタリングポストの数値を3Dマップ上に公開しているスマホアプリがあって、それで各地の線量を確認できた。最初しばらくは線量が上昇しなかったが、1時間ほどして徐々に新宿地域の放射線量が見事上昇し始めた。目論見通り、どうやら落下の衝撃で弾頭がひしゃげ、放射性物質が漏れだしたようだ。特に新宿西口のモニタリングポストの数値は毎時4000ミリシーベルトを示し、無事に(無事ではないのだが)都心を汚染することに成功した。

結果を確認して、それぞれ身を隠すための行動に移る。僕は東京駅から最終の新幹線かがやきに乗り、田舎の祖父母の家に身を隠すこととした。新幹線が長野県境に差し掛かるころにはスマホニュースに流れてくるほどの騒ぎになっていた。幸い犯人が特定されたなどの情報はなく、ただ大事になったからには捜査を避けるためにスマホのデータを全部消さなきゃなぁ、とか、そしたら彼女との写真も消えちゃうなぁ、とかそんな呑気なことを考えていた。

しかし、とうとうその時は近づいてきた。祖父母の家について一夜が明けた昼過ぎ、警察官が家を訪ねてきたのだ。その警察官は警視庁の所属を名乗り、昨晩新宿で何者かが放射性物質をばら撒いた可能性があることについて何か知っていることがあれば聞かせてほしい、とのことだった。何か知っていることがあれば、どころかあんたの方がいろいろ知っててここまで来たんじゃないか、と思った。ちょうどその頃、大学からは除籍の通知が、内定先からは取り消しの通知が、そして懇意にしているNPOの先生からは叱責と失望が、それぞれメールで届いてきた。でもたしかそんなあんたの依頼でこっちはこの仕事をしたんだ、と少しムッとした。

「O君とK君のもとにもそれぞれ警察官が向かっている。まずは署で色々聞かせてほしい。」と言われ、そのまままずは最寄りの県警の警察署に連行された。これはさてはゲーム理論か、囚人のジレンマか、と思いながらどこまで話そうか悩み、結局ある程度話せることは話した。つまり実行犯についての情報は話さざるを得なかったが(というか殆ど向こうが知っていることの確認に近かった。)、誰からの依頼でそれを行い、その目的が何だったかについては黙秘を通した。あと家族や友人知人に関することも全部黙秘した。

結局僕はそのまま書類送検され色々なものを失った。その絶望に明け暮れて目が覚めた。

時計は起きる予定だった時刻を過ぎており、あぁ、寝坊したなぁと思いながら、修士論文を進めなきゃなぁ、と思いながら、除籍になったんだからそんな必要はもうないのだな、とも思って少し寂しくなった。

そう、見事に寝ぼけていた。

そもそも俺、そんなことやってなくないか。別に新宿にダーティボム、放ってなくないか。今日も研究室に行けば友達がいるし、三週間後には修士論文の初稿を提出しなければならない。そこに思考が至るまでに30分ほどを要した。

見事に寝ぼけていた。

そんな今、大学の研究室で論文の合間にこのnoteを書いている。
居ると思った友達は、今日はいなかった。

笑の種にできると思ったのだが、独りぼっちなのは夢も今も変わらない。

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ちなみに、4000ミリシーベルトという放射線量はそのまま被ばくすると、被ばくした人の半数が骨髄障害で死亡するようです。なかなかな線量。

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