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2日目:じゃじゃ馬飼育

 ずっと暖かい3月だった気がしていたのだが、今日雪が降った。

 なぜかウキウキしない。積もらなかったからだろうか。以前までの僕は家からすっとんで雪の降っている中、半狂乱ではしゃぎ倒していたはずなのに。

 たぶん、自分の嫌な一面がいつものようにかっこつけてる。

 

人間は本能と理性の二つの小人が脳みその中で会議しながら、その人間を操作しているイメージがある。

 幼いころは理性がかなりへなちょこなおかげで親に大変な思いをさせたりする。でもそんなおかげで我が子がかわいく見えるのだろうか。そのうち、だんだん本能より理性の方が強くなっていくにつれて大人になっていく。

 ……と思っていた。


 僕も幼いころは本能のままに生きていた。

 中学生の頃、ゲリラ豪雨のなかで踊り狂っているのを向かいのマンションに住む友達に見つかった。高校に入りたての頃は登校中、一人で歌っているところや突然のジョジョ立ちを近所の人に無自覚に披露してしまった。

 人前では理性の方がかなり剛腕をふるっていた分、一人になるとタガが外れた。学級委員をやっている男が一人になるとジョジョ立ちするのだ、正気の沙汰ではない。


 しかし高校生の後半あたりから理性の剛腕が想定以上にたくましくなっていく。だんだんと一人の時間や気の許せる友人との時間にも侵入してくるようになった。自分の考えに対して常に嫌なツッコミが入る感じだ。

 このツッコミがまたかなりプライドが高くてダサい。常にかっこつけようとしている。常に省エネな自分…かっこいいな的な。そんなわけあるかい。

 こんなことしたら調子に乗っていると思われないだろうか。そんなことばかり考えていたら、何も自分では決められない人間が完成してしまった。おかげさまでこれからの進路が全くイメージできず、なんかもう主婦になりたい。

 メキメキと力をつけ、今では理性が本能を一瞬で半殺しにしてしまうようになった。この理性というヤツは加減を知らない。


 そんな状況になって思う。理性的な状態が必ずそも大人というわけではない。自分の持つプラスマイナスどちらの気持ちにも折り合いをつけていくことが大人なんじゃないか。わがまま言いたい自分、カッコつけたい自分、全部カッコ悪いけど無理に抑え込むことはできない。

 ありがたいことに、ボコボコにされたと思われていた本能も完全に抑え込まれてはいない。今でも大学で女性と一度でも目が合えば一瞬は本気で自分のことが好きなんじゃないかと思う。そんなわけないだろって脳内自己ツッコミは入るけど。

 本能も理性も意外とじゃじゃ馬だった。手がかかる。でもそのうちかわいく思えたりするのだろうか。

 今までは大人しすぎた。悪い意味で。これからはむかついたら取っ組み合いの喧嘩でもしてみようか。意外とそこに活路を見出しちゃったり。


 

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