男子校出身。親友のことが3年間ずっと好きだった。【短編小説】

男子校出身。昔好きだった子がいた。親友のことが3年間ずっと好きだった。僕は彼のことを優ちゃんと呼んでいた。僕らは美術部だった。
僕は中性的な顔立ちで、いわゆる二枚目だ。運動ができるわけでもないし、頭がいいわけでもない。いたって平凡な人間だが、この見た目のおかげで小中学校の時はまぁまぁ女の子にモテていた。でも、どんなに可愛い女の子にも興味が持てなくて、そんな自分はおかしいのではないかと思っていた矢先に、僕は彼と出会った。

初恋は優ちゃんだった。でも彼はノンケだ。性的対象として見て近づいていると思われたくなくて、結局3年間告白できなかった。興味のない下ネタについていくのも、優ちゃんの好きな女のタイプの話を聞くのも本当に苦痛だった。

高校1年のある日、2人でミレー展に行った。いろんなグッズがあったけど、お金のない僕らは一番安い「しおり」を思い出に買って、2種類あったのを1枚ずつ半分こした。なんだかカップルみたいで照れくさかったのを覚えている。もちろん、あいつはそんなこと思っちゃいなかっただろうけど。
優ちゃんはめきめき上達して、1年なのに先輩を押しのけ、コンクールで賞を取るようになった。僕はそんな優ちゃんのことを自分のことのように本当に誇らしく思っていた。

僕らは2年になった。クラスが変わり、前ほど一緒にいることは少なくなったけど、それでも部活が一緒なのと、帰る方向が一緒なので毎日登下校を共にしていた。

3年の夏。彼の絵がまた賞を取った。僕は絵の道に進むのは無理だとうすうす気付いていたけど、気付かないふりをしていた。でも、受験する頃にはそれは確信に変わった。僕には、優ちゃんほどの絵の才能はない。
ふと、2年の冬に顧問の先生から「お前は写真の方が向いている。写真をやってみたらどうか」と言われたのを思い出す。それって才能がないって事が言いたいって事だろ。教育者として生徒に才能ないって言うのどうなんだよ。本当に好きなものの代わりなんてない。もし僕が才能がないとして、夢が叶わないとしても、僕は絵が描きたいし、絶対付き合えないとわかっていたって、僕は優ちゃんと一緒にいたい。妥協して仕事を決めたり、妥協して結婚相手を選ぶような大人になんか、僕はなりたくない。

卒業が近づく頃、僕は大きなミスをしてしまった。
戻れるなら、僕は本当にあの日に戻りたい。
この先の人生なんて要らないから、出会った日からあの日までを何度も何度も繰り返したい。

僕らは当時受験勉強で土日は毎週一緒にアトリエに通っていた。僕ら以外誰もいない電車で疲れて寝ている彼にキスしたいと思った。
彼が気付いて、僕を突き飛ばした。
「気持ち悪い。」
そう言って彼は途中駅で降りて去っていった。

それから、卒業するまで僕らは口を聞かなくなった。アトリエでも目を合わせることはなかった。

彼は噂によると志望校に合格したらしい。
僕は落ちた。あの一件があってから、どういうわけか全てがどうでもいいと思うようになった。練習も身が入らなくなった。失恋した程度でこのザマだ。才能がないだけじゃない。僕はその程度の残念な人間なんだ。優ちゃんは本当にすごいよ。

こうして、僕はあんなに諦めきれなかった絵の道をスパッとあきらめて第1でも第2でも第3希望でもない大学に入った。もちろん美大じゃない。そして、僕は画材を捨てた。

彼は今、何をしているんだろう。もう会えないのかな。目の前の講義に集中すべきなのに、大学生になってもそんなことばかり考えてしまう。優ちゃんへの想いは、一過性の思春期の気の迷いだったのか、それとも本当に恋をしていたのか。実際のところは誰にもわからない。でも、大学生の時に初めての彼女ができてからは、優ちゃん以外の男を好きになったことはなかった。大学生の頃の僕はいわゆるヤリチンというやつだったかもしれない。僕は何かを探すように、自分の中の何かを埋めるように女と飲んでは寝てを繰り返していた。
たまに、目の前で抱いている女が、彼だったらいいのにと脳裏によぎる。僕は何を求めてこんなことを続けてるんだろう。いつまで続くんだろう。

やがて僕は大学を中退し、しぶしぶ働き始めた。もちろん、やりたい仕事ってわけじゃない。でも、生きていくためには仕方ないんだ。母さんは昔から口癖のようにこう言ってた。「世の中にはやりたい仕事ができてる人はほんのわずかしかいないのよ」と。母さんは自分の母親ながらめちゃくちゃ美人だと思う。僕は母さんに似たのだ。モデルを目指して上京してきたけど、夢敗れて地元に帰ってきて父さんとお見合い結婚。よくある話だ。無論、そんな母さんだから美大を受験することも猛反対していた。
高校生の頃は、母さんに「世の中そう甘くない」と言われる度に、「そんなことない。夢は叶う」と母さんに反抗していたけど、今なら「そうかもしれない」と僕も思う。そう思えることが大人になるってことなのかもしれない。才能がなければ、いくら努力したって可能性はない。優ちゃんは今何してるんだろうか。才能のある優ちゃんは、きっと夢を叶えている最中なんだろうな。

パワハラが酷い会社で、休日出勤は当たり前。ろくに休みはなかった。ひたすら毎日をこなしていた。大学生の頃のように女遊びをする暇もなくなっていた。現実から逃げ出したかった。いつの間にか僕は医者から「うつ」という診断を受けていた。

それから半年ちょっとニートをした僕は、25歳のある日、病院から帰る途中、書店でとある人の写真を見つけた。僕はその日から吸い込まれるように写真の世界にのめり込んで言った。
ブラック企業に務めながら、僕は写真の学校に行くためのお金を貯め始めた。そして、無事卒業し、今は写真家として副業をしながら活動している。
あの高校教師は教育者としてはどうかと思うが、見る目はあったんだな。多分。

この2LDKのマンションは母さんとそう年齢の変わらないパトロンの女が無性で貸してくれている。たまにご飯に行くだけだ。

二子玉川に引っ越したばかりの僕は、近所にカフェを見つけて入った。そこはとても自分の理想に近いカフェだった。白い粒子が空中を舞い、窓から差し込む柔らかな日差しに照らされキラキラと輝いて見える。まるで、僕を歓迎してくれているようだ。春の香りの中にコーヒーの香りが交じる。
「素敵な作品ですよね。僕、初期のミレーが一番好きなんです。」

穏やかな笑みを浮かべた立派なあごひげの初老の男性が「そうでしょう?僕もこの人の作品が昔から好きでね。」と渋い声で言った。年老いているが、端正な顔立ちをしている。
メニューにはたくさんの種類の紅茶がずらりと書いてあった。「ダージリンファーストフラッシュで」
素敵なお店なのになぜかお客は自分しかいない。

そこで1人の少女と出会う。目がくりくりして、可愛い女の子。15歳くらい?タイプだけど、ちょっと年下すぎる。ロリコン扱いされるか。

僕は、「Photographer Ryo Ayasaki」と書かれた自分の名刺を彼女に渡した。

その子はなぜか、僕のことをよく知っていた。
なぜなのか聞いても決して教えてはくれない。謎めいた少女だった。Twitter?インスタグラム?僕はそこまで有名ではないはずだが。

その日から、僕は足繁くカフェに通うようになった。
彼女は不登校なのか、僕が行くとたいていいつもそのカフェにいた。彼女はいつも、青色のブックカバーで包まれた本を持っていた。

「その本いつも持ってるけど面白いの?」僕が聞くと、彼女は首をコクン、と縦に振った。
「どういう話?」
「そうですね、、、それは読んでからのお楽しみです。」彼女は、少し間をあけてからにっこり笑ってつぶやいた。

僕は彼女のことが気になって、ある日マスターに「彼女がなぜ平日の日中もここにいるのか」と尋ねた。

「彼女はディスレクシアなんだよ。だからね、普通の高校には通えないんだ。彼女は今、美術の学校に通ってる。」

ディスレクシア(英語: Dyslexia、ディスレキシアとも)は、学習障害の一種で、知的能力及び一般的な理解能力などに特に異常がないにもかかわらず、文字の読み書き学習に著しい困難を抱える障害である。 難読症、識字障害、(特異的)読字障害、読み書き障害とも訳される。

インターネットにはこう書かれていた。
彼女は文字を読み書きすることができないのだ。
つまり、あの本を読むことはできないのだ。
では、なぜいつも持っているんだろうか。

「その本を見てもいいかな?」

僕は1ページ目を開く。
目を疑った。
昔僕が優ちゃんに貸した本の中に、僕のしおりと対になっているミレーのしおりがあった。

初老の男性が「あの人の遺品だね?」と少女に問いかける。
僕はすかさず彼女の方を見た。

潤んだ彼女の目は、彼にそっくりだった。
そう、優ちゃんにそっくりだったのだ。

僕は彼女に勇気を出してといかけた。

「君はもしかして、、、優ちゃんの、、、」

「孫です」

「彼は、、、優ちゃんは亡くなったの?」

「はい」

混乱のあまり、取り乱して言葉が出てこない。
何が起きているの?どうして優ちゃんに孫がいるの?

これはきっと夢だ。早く、夢から覚めてほしい。

でも、目の前には僕が貸した本と、優ちゃんが持っているはずのしおりがある。本の感触があり、コーヒーのにおいもする。これは、まぎれもなく現実だ。

「そう、優ちゃんは死んだんだよ。生きていれば、彼も今年で60だよ。」

ミレーが好きだというその初老の男は、僕の肩に手を置いてそう言った。

続く


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