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東京潜水-20230819

東京に潜ってきた。
そのレポートを挙げようと思う。
アーカイブである。

行ってきたのは下記の三つだ。
このノートは個人名を出す趣旨のものではないため、同じように訪れた場所の名前は伏せ、属性のみ挙げる。

・アートギャラリー
・美容院
・とあるバー

訪れた場所として原宿がある。
原宿は、人生二度目の来訪である。
神宮橋を横目に、表参道を行く。相変わらず人が多い。
若い人が目に付く。そしておしゃれだ。

いつか、原宿を訪れた回数など数えなくなる日が来るのだろうか。
そういう日が来るような人生にしたい。これは我が人生の中期目標だ

ふらっとギャラリーに入ってみたり、人と話してみたりする。
そうすると全く予想だにしない情報が入ってくる。
それは嬉しいことだ。
アートに熱く、表現に熱く、そういう会社を探して日本へやってきた人がいた。とても素晴らしい人だと思った。熱が伝播する感じもある。
仕事としてアートなのか、そこはよくわからなかったけど、昼休みなど活用して作品見に行けるような環境らしい。それは情報が自然と入ってきやすい良い環境だと思う。個展を開きたいと熱を持って話してくれた。私も何か今持てる技を使って、作品を作ってみようか、とも思うが、技術の表現では拙いし、コンセプトアートにしてはまだまだ何かが足りないと思ったりする。ただやろうと思えばできるのかもしれない、でもまだそのステージじゃ無いのかもしれない、そんなことを考えた。
このギャラリーで個展を開きたいという人にも、すれ違った。あの人は壁画に対して面白みを感じているようだった。壁画。確かに壁画は面白いかもしれない。あの人は、常日頃そのような眼差しを持ち、また表現に励んでいるのだろう。どのようなタイプのアーティストなのか気になった。話しかけてもても、良かったかもな。
出会いと、そこにあるものと楽しめた。
そして次なるお楽しみもできた。これも嬉しいことだ。その場所へはまた後日訪れよう。

美容院も同じだった。
偶然地元が同じ人がいて。「地元から出てきた人にとっての東京」について話した。共有できるものがあると、話も弾む。
それにしてもやたら良い匂いのする美容院だった。モデル体型の人も多い。そしてお客も多い。これにはすごいと思わざるを得ない。
話した人はまだまだ若く、東京にも出てきたばかりらしい。まだ見習いらしい振る舞いで、頑張っている感じが伝わってくる。あの人は、この場所で、この街で生きている。その姿を目の当たりにして、なんだか勇気ももらえた。もう会うことはないかもしれないが、良い出会いであったことは間違いないと思った。
私の担当をしてくれた方もとても話しやすい人だった。なんだか頼れる女上司感。単純に良い人だなと思ってしまった。

街を彷徨っていたらすっかり暗くなる。腹は減る。
帰ろうかと思ったが、そういえば気になっていたバーがあると思い出し、そこに行ってみることにする。カレーも提供しているようだった。カレーを食べたい。

バーは雑居ビルに入っているようだった。少し迷ったが、地図を頼りにバーの前までたどり着けた。ドアからは数人の声が漏れ出ていて、ガラス部分から確認できるカウンター席は満席のようにも見える。すでに盛り上がっているようだ。あー、面倒くさいなと一瞬思ってたじろぐ。けれどここで引き下がってはならぬと思い、えいや、とドアを開けてみる。
私に視線が集まる。もたついていると、「奥の方の席が空いるよ」と、奥に通される。
一言で言えば魔窟だった。強者揃いという感じ。圧倒されてしまう。そして自分はそちら側に行けるのか、いけないのかといった感じでチリチリしている。それがむず痒い、というのが浮き彫りになる感じがある。
話は多少できたが、多少であった。敗走感は否めない。けれど勇気ある一歩であったことは間違いない。偉大だ。
目の前の人間は、パフォーマンスアーティストと名乗った。繰り出される情報の数々、その輪郭に多少の覚えはあれど、ほとんどは知らない世界の言葉だった。知らない世界の態度だった。私はその情報の渦を整理するだけでほぼ精一杯であった。
しかし、なぜこういう表現活動を続けられているのかは気になったな。それを支える問題意識と意欲は、計り知れないものがあると思った。
。。。その真似はできないけれど、自分の中にも同じように計り知れない泉があるのなら、それを使って、この人とは形は違ど、何かできるのかなぁと思たりしたよ。
それにしても、こういう場によそ者として曲がりなりにも参加すると、SFCはいいぞみたいな意味が切実な意味合いからの観点からの理解でわかってくる。ある一定のアカデミズムな場所での嵐、生半可な気持ちでいくと怪我しかしない、というのがわかってくる。日常的なディスコミュニケーションは心身に異常をきたすよ。まぁまだ想像でしか無いけど。


なんだか今日の東京は賑わっていた。
それでいてケ(褻)の日の東京といった感じがする。特別熱に浮かされるといったわけでもなく、しかしながら賑わいが感じられる、とある夏の日の風景。

私の住む街も良いが、こういう街もやはり良いなと思う。なんだかんだで人である。この街に住む人々の温度感が垣間見える一日であった。東京という街から連想されるイメージは少しずつ溶けて、私の現実と地続きである街となっていく。その感覚が心地よい。
また、訪れようと思う。


ここで名フレーズを一つ
全ては関係しており、尚且つ、全ては無関係である。

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