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“見て満足”“見せて満足”してないか?

はじめまして。ケイです。高校で社会科の教員をしています。

この三連休、どのように過ごされましたか。
台風が来てしまったこともあり、予定変更を余儀なくされた方も多かったのではないでしょうか?

先日、通勤中にラジオで
連休初日の17日(土)からスマートフォンを使った「奈良大和巡礼スタンプラリー」がはじまる
というニュースを耳にしました。
奈良県の中部や南部地域の観光を活性化しようと、この地域にある4つの寺院などを巡るものだそうです。寺院のほか、歴史文化施設や飲食店、あわせて50余りが参加しているとのこと。

なぜこの話題を出したのかというと(プロモーションの意図は全くないです!)、
4つの寺院のひとつ、奈良県桜井市にある長谷寺が個人的な思い出スポットで、ニュースをきっかけに色々と思い出したためです。

個人的に、人生ではじめて感動した仏像が、この長谷寺の本尊だったのです。(正確には、感動というか、感情を言語化できないけれどとにかく心を揺さぶられたという感じ。)補足しておきますが、私は基本的に信仰心とかそういう類のものについてほぼ関心がないタイプです。

長谷寺の本尊は「十一面観世音菩薩立像」
HPによれば、重要文化財で室町時代(1538年)の造立。像高は1018.0cm。国内最大級の木造仏であるとのこと。大きい仏像です。

普段の私だったら、「大きいなー。すごいなー。」で終わっていたと思うのです。
しかし、長谷寺訪問当時学生だった私は、スケジュールの都合で結構な早朝に一人でこの寺院に行き、そして本尊を拝観しました。
人も少ない時間帯で、また誰かとおしゃべりをすることもなく、ただ集中して仏像をじっと見つめていました。仏像とほぼ1対1の状況。ひたすら仏像から見下ろされているうちに、
「現代人から見てもこんなに大きい仏像なのだから、造立当時の人々からすれば、この像高のインパクトは今とは比べ物にならないほど大きかったのだろうな」とか、
「このインパクトが信仰心に与える効果って、凄まじかったんだろうな」とか、
そういうことを考えるようになり、感無量になってしまった次第です。

もし、もっと賑やかな時間帯に訪れていたら、誰かと一緒に来ていたら、違った感想になっていたのかもしれません。
ただ一つ確実に言えるのは、この仏像の実物を見たから心が動いたということ。写真だけ見ても、文字情報で像高を知っていたとしても、あのようには感じなかったでしょう。

それと同時に、写真のように切り取られた情報や文字情報のみ通して物事の知識を得るよりも、実際に自身の五感を使って直接アクセスする方が、得られる情報量が圧倒的に多いし、色々なことを考えるきっかけにもなるのだと実感した瞬間でもありました。

話の内容は少しズレますが、学生時代、お世話になっていたゼミの教授に「ここの地域について調べてみたのですが…。」というと、決まって「で、その場所には行ってみたの?」とよく言われたものです。
ご存じの方も多いと思いますが、社会科という科目にとって、「フィールドワーク」はとても重要です。物事について深く理解をするため、しっかり下調べをし、実際に現地に足を運び、実物に触れた方が、圧倒的に学びが多いからです。
(当然ながら、無計画に現地に飛び出してしまっては「フィールドワーク」での収穫は激減します!下調べは超重要です!)
ただ、それを日常の学校教育の中で展開していくのは、現実的ではありません。

私は社会科の授業中、プロジェクターを使用して、“教科書の内容だけではイメージすることが難しいだろうなー”と思うものについては、普段から可能な限り写真や動画を用いるようにしています。写真や動画は、教室に居ながらにしてたくさんの情報を私達に与えてくれます。

だから、ついつい忘れてしまうんですよね…。その落とし穴に。写真や動画で得られる情報は、事実かなりの満足感を与えてくれる。けれど、その実態は実物から他者の手によって切り取られ、情報量を削ぎ落されたものなんですよね(意識の有無に限らず)。だから、写真や動画を目にしただけでは、本当の意味で、よく理解したことにはならない。
けれど私自身、写真や動画だけを“見て満足”、生徒に“見せて満足”してしまっていることがよくある。反省しなければならないところです。かといって、気軽に「フィールドワーク」へと飛び出せるわけもなく、現在葛藤中です。

はじめて仏像を見て心動かされたあの日のことを思いだし、自戒の念を込めて今回コラムにしてみました。教室の外に飛び出せなくても、まだまだ学びについての可能性はあるはず!と思った連休最終日でした。

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