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BUMP OF CHICKEN『RAY』10年越しの回想 - 「反撃」の終幕
未だにバンプを聴いています。中1のときに彼らに出会い、それをきっかけに音楽にハマり、やがて彼らとは似ても似つかない音楽を聴くようになった現在ですら、未だにバンプを聴いています。たぶんこの先も聴き続けるでしょう。果ては葬式でも流してもらうかもしれません。そのくらい、自分の音楽観や人生観に深く入り込んだ存在が、バンプことBUMP OF CHICKENです。
ところがそんな私も、彼らから離れていた時期がありました。他でもない、7thアルバム『RAY』から8thアルバム『Butterflies』に至る期間です。
それまでになかったシンセサイザーや打ち込みドラムを中心に据えたアプローチが目立つようになり、リスナーの間で動揺が広がったのは今や歴史上のよく知られた話。当時、私と同じくそのまま離れてしまったという方も多いのではないでしょうか。
そのターニングポイントとなった『RAY』のリリースから10年の月日が経とうとしている今、あの時の衝撃は何だったのか、彼らの歴史の中でどういう意味を持っていたのか、一度振り返って考えてみたいと思い、(ホームシック衛星リバイバルの真っ最中に出すのもどうなのかなとは思いつつ)noteに書き起こすことにしました。当時その変化を受け止めきれなかった自分自身の記憶のお焚き上げでもあります。乱文長文になりますが、よかったら最後までお付き合いください。
『RAY』との思い出
個人的な思い出の振り返り。読み飛ばし可。
10年前、私は卒業を間近に控える中学3年生でした。当時はこのアルバムで感じた違和感を「昔の青臭い演奏の方が良かった」みたいなどこかで聞き齧った言葉で言い表した気になっていましたが、要するになんか置いてけぼりを食らった感じがしたんだよな、と今にして振り返って思います。
「ray」に並ぶ準リードトラック的立ち位置の「虹を待つ人」のMVに顕著ですが、ここに来て彼らは一種の「素朴さ」を捨ててしまったように見えました。クラブをイメージしているのであろう、光り輝くフロアで大勢に囲まれた演奏シーンのあと、終盤ではこの時期特徴的だったカラフルに光る球体(チームラボボール)やけったいな衣装に身を包んだライブの模様が映されています。
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それはさながら、スタジアムを光と歓声で揺らすスターバンドとしての役割に自覚的になり、バンドとしてさらに大きな存在になるべく歩みを進めたかのようでした。当時ホームシップ衛星やPEGASUS YOUの映像などで穴が開くほど見ていた、ガリガリの体で叫ぶように歌う藤原基央の姿とはかけ離れて見えたのを覚えています。
それらに並行して、エレクトロやEDM的な要素を積極的に受容し始めたサウンド面の変化だったり、ベスト盤のリリースやメディアへの露出の増加といった姿勢面の変化だったりもあり、自分が漠然と彼らのカッコよさだと感じていたものが次々と変わっていくことに当時の私は大いに困惑しました。冒頭述べた「置いてけぼりを食らった感じ」というのはこういった内容です。ファン歴3年目程度で何を言っているんだという話ですが、中学生の3年間はそれなりに重かったのです。
そして、リリース翌日に公開された唐突な初音ミクコラボで困惑はピークに達しました。そんなやりきれない気持ちを(散々目の敵にしていたはずの)2chのアンチスレにぶつけたりしているうちに、折しも中3〜高1という「バンプ・アジカン・RAD」よりも広い範囲の音楽に触れ始めたタイミングだったこともあり、すっかり心は離れていってしまったのでした。
以上が、当時の私が『RAY』を受け入れられなかったことの顛末です。本記事では、こうしたその当時の私の感覚もできるだけ尊重してあげながら、現在の視点から見て10年前の変化は一体何だったのか、ということについて考えたいと思います。
音楽性よりも本質的なこと
始まりがあれば終わりもある。このアルバム『RAY』が「新しいフェーズの始まり」なのだとすれば、それに対応する「終わり」もまた存在していたはずです。では、そこで「終わったもの」とは何か。裏を返せば、当時の私が漠然と感じていたカッコよさの正体がそこにあるはずなのです。
手っ取り早く目につくのは、やはり「バンドサウンド」でしょうか。実際、本作は「青臭い演奏の方が良かった」といった言葉で、とかくサウンド面の変化ばかりが指摘されがちなアルバムです。
しかし、冷静にアルバムを通して聴いてみれば、それはひとつの側面に過ぎないことがわかります。冒頭3曲以外は全くもってバンドサウンドであり、「Smile」や「グッドラック」といったキャリア屈指のコンセプチュアルな大曲をはじめ、むしろここに来てその粋は極まっているようにさえ思えます。
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1年半後にクラブでパリピと踊っているようには見えない
したがって、『RAY』というアルバムをして「音楽性の変化」だけを指摘するのは、確かに一面の事実ではあるものの、それ以外の大部分を見過ごすことにもなると言えます。「音楽性」というのが「ロックバンドらしさ」と読み替えられるのであれば、アルバムの大部分でそれは担保されているのです。
ただ、その一方でこうした曲たちが『COSMONAUT』以前の楽曲と似ているかというと、それもまた違うように思います。
たとえば、M13「(please) forgive」は本来『COSMONAUT』に収録される予定だったことが当時のインタビューにて語られていますが、そこでは下記のような発言が交わされます。
藤原 (前略)当初はその時点であった新曲は全部アルバムに入れたかったから、「(please) forgive」も「COSMONAUT」に収録しようという話だったんですけど、1枚のCDの収録時間の容量をオーバーしてしまって。じゃあ1曲削るしかないねということで、全体のバランスを考えて「(please) forgive」を削ることになったんですね。
──それは、「(please) forgive」は次のアルバムに持ち越してもきっと大きな存在感を示す曲になるだろうという予測もできたからなんですか?
藤原 どうだろうなあ? わりと暗い曲が多かったから、暗いところから1曲外しておこうって感じだったのかな。暗いと言うと語弊があるか(笑)。
──うん、暗いだけでは片付けられない曲ですね。
藤原 そうですね。でも、さわやかな感じもありますよね?
そう、まさに本人たちも言葉を選んでいるように、「暗いだけでは片付けられない」曲なんですよ。「選ばなかった人生を夢想するけど、それを選ばなかったのは自分だし、その自分でこの人生を生きていかなきゃいけない」といった曲で、人生の選択というモチーフが共通する「同じドアをくぐれたら(『ユグドラシル』収録)」よりも結果が出てしまっている分ヘヴィーな内容だと思うのですが、曲としてはむしろ春の陽射しのように寂しくも光に満ち溢れた楽曲になっています。『COSMONAUT』は全体的にやるせなさや寂しさが重い影を落としたアルバムだったため、そこから外されたことには納得感があります。明確に「光」があるのです。
これは「(please) forgive」に限った話ではありません。他の曲にも目を向けてみると気づくのですが、本作には暗い曲がないのです。「Smile」や「ゼロ」など切実なテーマを扱った曲もあるものの、基本的にはどれも前向き。これは『RAY』以降の『Butterflies』や『aurora ark』にも共通して言えることで、かつ『COSMONAUT』以前の作品とは大きく異なるポイントです。
これを踏まえると、『COSMONAUT』以前との比較の観点からは、一部にしか当てはまらない「音楽性の変化」よりも、こうした「楽曲の主題の変化」の方が決定的に思われます。以下、これについて掘り下げて考えます。
楽曲の主題からみえる変化
上記で「暗い曲」という言葉を使いましたが、これをもう少しちゃんと定義したいと思います。
私が「バンプの暗い曲」と言われて想起するのは、古くは『jupiter』の「Title of mine」、『ユグドラシル』の「乗車権」「ギルド」「レム」「太陽」、『orbital period』の「才悩人応援歌」「ハンマーソングと痛みの塔」、そして『COSMONAUT』の「モーターサイクル」「イノセント」……といった楽曲です。これらは、言うなれば「世の人々の、そして時には自分の中にもある『しょうもなさ』『情けなさ』への痛烈な批判や皮肉が込められた曲」とでも形容できるでしょうか。
与えられた餌の味 解らないけどまず批評
美味い・不味いの基準は 隠れて読んだ週刊誌
変わったふりを見透かされて 芸術的な言い訳
わきまえた大人の顔 守るモノでもあったの
それとも既に飽きたの
自分が置いていかれたら 逆恨みして
あいつは変わったと 欲に目が眩んだと
一人で生きていくもんだと 悟った顔
一人でも平気な 世界しか知らない
頼まれたわけじゃないのに 生活は全部 そんな感じで
こういった楽曲は『RAY』以降姿を消します。「グッドラック」のB面「ディアマン」に少しその面影を感じつつ、それ以降は本当に一曲も無くなったと思います。毎アルバム一定数収録されていたものがパタリと消えたという点で、決定的な変化と言えるでしょう。
では、こうした楽曲に代わって現れたものは何か。私はこれには明確に一つそうと言える答えがあると思っています。すなわち「寂しい曲」です。
「暗い」と「寂しい」はこの場合イコールではありません。まず具体例を挙げてみましょう。
どうやったって無理なんだ
知らない記憶を知ることは
言葉で伝えても 伝わったのは言葉だけ
出来るだけ離れないで いたいと願うのは
出会う前の君に 僕は絶対出会えないから
今もいつか過去になって 取り戻せなくなるから
それが未来の 今のうちに
ちゃんと取り戻しておきたいから
増えていく 君の知らない世界
増えていく 君を知らない世界
君の知っている僕は 会いたいよ
ひとりじゃないとか 思えない日もある
やっぱり大きな 寂しさがあるから
応えがなくても 名前を呼ぶよ
空気を撫でたよ 君の形に
この瞬間にどんな顔をしていただろう
一体どんな言葉をいくつ見つけただろう
ああ 君がここにいたら
君がここにいたら
話がしたいよ
彼らの歌う「寂しさ」とは、「あなたと心から分かり合いたいのに、それができない」という根源的な無力感・喪失感に通じます。かつて別れた人とはもう話ができないこと、今そばにいる人でも出会う前のことは分かち合えないこと、そもそも人は孤独で、出会いは大部分が一瞬のすれ違いでしかないこと。これらは根源的で動かしようのない事実であり、実際『COSMONAUT』ではその重みが一つの大きな要素となってアルバムのシリアスな空気感を形成していました。
しかし『RAY』以降ではむしろ、その寂しさを所与のものとして、それを背負って生きていくことを讃えようとする精一杯の前向きさが描かれるようになります。上記「宝石になった日」や「話がしたいよ」をはじめ、『RAY』のリードトラック「ray」はその代表的な一作です。
寂しくなんかなかったよ ちゃんと寂しくなれたから
大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない
大丈夫だ この光の始まりには 君がいる
信じたままで 会えないままで
どんどん僕は大人になる
それでも君と 笑っているよ
ずっと友達でしょう
ハロー 遠い隣人
あまりに巨大な 銀河で出会う
こんな小さな窓の中にも
届いたあなたの灯 ここにいるよ
この「寂しさ」を受け入れながらも、あくまでも手を伸ばして分かり合おうとする、あるいはそれが叶わなくとも信じようとする姿勢は、時を同じくして彼らがよく口にするようになったリスナーへの向き合い方そのものです。
──ホントにこれまでにないくらいリスナーと開かれたコミュニケーションを取ってきた3年間でもあったと思うんですよね。
藤原 まず基本的にいい音楽を作りたい、いいライブをやりたい、そしてそれを1人でも多くの人に届けたいという気持ちがあって。その思いは歳を重ねるごとに、バンドがキャリアを積むごとに、より強くなってるんですけど。そのことは何年も前からインタビューのたびにお話ししてきたと思うんです。
──うん。
藤原 それはずっと変わりなくて。何か新たな局面を迎えるたびに、自分たちがなぜそういう行動を取ったのかとか、振り返るとそこには理由があって。結局それはいい音楽を作りたい、いいライブをやりたい、1人でも多くの人に届けたいということに行き着くんです。僕らが歩んできた道のりはその精神が作ったものであって。ただ、ここ数年はその道のりの続きに、今まで開かなかった扉を開けていかなきゃいけない局面が多かったんですね。それはすごく勇気を必要とするものでもあったんですけど。
僕は、何万人がいても『一対大勢』とは思えないんです。目を閉じて歌えば『一対一』という感覚になる
ラジオやCDから聞こえてくる声と一対一の関係性で育ってきた。だから自分が曲を作って歌う時も、その感覚が強いんですね。レコーディングのブースで歌っていても、3万人がいるステージで歌っていても、歌う先には明確に“あの日の俺”みたいなヤツがいるんです
ラーメン屋さんで駆けつけ一杯のビール飲んでる全く興味持ってくれたことのない人が、俺たちに興味持ってくれる瞬間かもしれない。「その人に俺は出会いたいんだよ」って楽曲が言ってるなら、そうしなきゃいけないんですよ、僕たちは。
今目の前で泣いているこの人は、あの時あのスタジオで僕が想像した耳の持ち主なんだ、ようやく会えた、と。
こんなにもその一人一人と繋がれたような、大きな何かを共有できたような、そんな感覚って他にはないだろう、と。
でもその相手と共有できているものはそれ以外にはないわけで。
若かりし日の、観客のシンガロングに「カエルの合唱か!」とキレたり、ライブ生中継でカメラに向かって「ライブっていうのはお茶の間で煎餅かじりながら見るようなもんじゃねえんだよ。チケット取れなかったとか色々あるかもしれないけど、死ぬ気でチケット取れ。で、見にこい。俺らあれだから。ブラウン管の前で評価されたくないから。」とキレていた頃とは隔世の感があり、実際その点で「丸くなった」とネタにされることも多いのですが、これは単にそれだけで片付けられることでもないように思います。「ブラウン管の前で評価されたくない」も「目の前の一人ひとりと大きな何かを共有したい」と根本は同じだし、当時からそういう歌もありました。彼らは、時には暗い曲で自他を刺しながらも、不器用にもずっと「君に触れていたい」と願うバンドでもあったのです。
差し出された手を 丁寧に断ってきた
雀が泣く様に 気にも止めず唄ってきたけど
気付いたら
君に触れていたいと 思う俺は何だ⁉︎
ここからは私の憶測になりますが、それがいい加減に容易ではなくなってきたのが、まさに『RAY』前後のタイミングだったのではないでしょうか。バンドがあまりに大きくなって、知らない街・知らない場所でそれぞれの感じ方で聴いている人たちが無数にいて、チケットを取ろうにも物理的に抱えきれない人が出るようになった状態で、全員に「死ぬ気で見に来い」などと言い続けるのには無理があります。ただその一方で、救い救われの関係で増えたリスナーを切り捨てることもできない。
そこで生じた彼らなりの責任の果たし方、あるいは形を変えたエゴこそが「一人でも多くの人に音楽を届ける」という姿勢なのだと、私は考えます。その困難さと、それでもなお手を伸ばし続ける欲望とが、楽曲に「寂しさ」として現れているのです。サウンドの変化はとりもなおさず「広く届ける」ための訴求力を、そして光り輝く演出や派手な衣装はそれを背負うためのアイコンを(意識的にか無意識的にかはわかりませんが)追求した結果だったのではないでしょうか。
この「一人でも多くの人に」と「売れたい」は紙一重の差でしかないため、そこがミスリーディングだった可能性は大いにあるものの、それまでの経緯を振り返れば、発想自体は突飛なものではありません。もちろん、メディアに出てきていないだけで内部ではセールス的な目線の議論もあったんだろうとは思いますが、少なくとも売れるためのテコ入れがあえて必要になるような状態ではなかったはず。むしろ、それで実際にこれだけの変化を起こしてしまうところが、彼らの真面目さというか正直さを表しているとも言えるでしょう。
「反撃」の終幕
では、ここで冒頭の問いに立ち返りましょう。『RAY』で終わったもの、当時の私がカッコよさを感じていたものとは何だったのか。
私は、それは彼らの「反撃」であったと結論付けたいと思います。「弱者の反撃」を意味する名前を持った、バスケ部で万年補欠のへなちょこの四人組だった彼らは、多くのリスナーに愛される巨大な存在となり、もはや「反撃」をする必要も、その対象もなくなってしまったのです。逆に必要になったのは、一人ひとりに手を伸ばそうとすること、そしてそれに伴う寂しさに向き合うことだったのでした。
当時の中学生の自分は、要するにこれがわかっていなかったのですね。人と分かり合いたいのに叶わない寂しさなんて感じたことがなかったし、日陰者根性で彼らの「反撃」の部分に素朴に憧れを抱いていたので、売れ線のEDMに寄ったり、Mステに出たり、ジャケットにアー写を使ったりして、日向に出ていこうとはしないでほしかった。でも振り返ってみれば、それは結局自分の捻くれた願望を一方的に投影しやすかったからそうしていたに過ぎないし、その反省も含めこうした当時不可解だったところがちゃんと腑に落ちるまで、追加で10年分の人生経験が必要だったというわけです。
また、上記では触れませんでしたが、『Butterflies』以降は特に「生きていくことの辛さ」に寄り添おうとした曲も増えます。これは言うなれば、人や自分の弱さを弱さのまま認めるような、「弱いままで生きていく」ことを肯定するような楽曲です。これを踏まえてもう一つだけこじつけるとすると、『RAY』より後の「BUMP OF CHICKEN」という名前が含む「反撃」とは、弱い自分を否定する気持ちに抗い、弱い自分のままで生きていくことそのものを指していると理解すべきかもしれません。結局、形は違えど「ダイヤモンド」と同じメッセージになるんですね。
以上より、私は『RAY』という作品について、傑作であるかどうかは各人の評価によるのだとしても、少なくともBUMP OF CHICKENのキャリアにおいては極めて重要な作品である、と主張します。作風を変えたことで動揺を誘った本作は、その背景に「『反撃』の終幕」と呼べるような、より本質的で重大な変化を孕んでいたのです。
余談 : それでもミスコミュニケーションはあった
ただ、ここまで書いておいてアレですが、『RAY』のリリース前後で彼らの意図がちゃんと伝わっていたのかというと、個人的には疑問に思います。
先述の通り、「一人でも多くの人に」と「売れたい」の差は微妙なもので、見せ方によってはいわゆる「セルアウト」というか「まあ十分売れたしもう信条とかどうでもよくなったんでしょ」としてしか見られないリスクを抱えています。
実際、当時の私はそう思って見ていたし、周りの反応を思い返しても似たような人は多かったと思います。やっぱり彼らの変わり方は急激で、何かしらの下心を疑ってしまうくらいには不自然だったのです。
その最たるものが、冒頭でも触れた初音ミクコラボで、これについては正直今でも納得行っていません。「ボカロPの中にロキノンに影響を受けている人が一定数いる」というくらいしか文脈が見えないし、その当惑を乗り越えて感動させるにしては内容面があまり上手く行っていない気がする。オケには特にアレンジを加えず、ボーカルを部分的にミクに差し替えただけ、しかもあろうことかハモリを増やすために藤の声をゴリゴリにピッチ補正してしまうなど、組み合わせの意外性の割に大して面白くない、出オチ感のあるコラボだったと思います。どうせやるなら新しい曲を作ってほしかった。
こうした点で、全体的に猛スピードでリスナーを追い越しすぎて、理解が追いつかずミスコミュニケーションが生じていた感は否めないなと思います。「ray」は今やYouTubeで5000万回以上再生される代表曲の一つとなっているし、その後の大成功っぷりも言わずもがななので、プロデュースが間違っていたなどと一概に言えるわけでもないとは思うのですが。
当時読んでそうだよなーと思った記憶のある地下室タイムズの記事。あまり褒められたメディアではない(年末に石左自身の手によって終わりを迎えていて胸熱だった)ですが、ここに書いてあるとおり、やり方として失敗では全くないものの、振り落とされたまま戻って来なかった人も結構いるんじゃないかな……という、余談でした。
おわりに
思っていたより長々と書いてしまった。ここまで読んでくれた方はありがとうございました。
『RAY』は、あまりに大きくなった彼らが、それでも彼らなりの責任を果たしていくために必要だった変化、すなわち「『反撃』の終幕」とも呼べるほどに重大な、彼らの歴史に一つのピリオドを打つような変化のアルバムだった、というのが本記事での見立てです。個人的な思い入れの強い作品でもあり、それ以前とそれ以降に論が切断されて、その結節点としての立ち位置があまり言及されていないような印象もあったので、ここで整理して振り返ることができてよかったです。
ちなみに、私は来月ホームシック衛星2024のツアーファイナルに行く予定です。大学生になって、それこそ『RAY』と和解してまたバンプが聴けるようになって、久しぶりにライブに申し込んでみては外れる……ということを数年繰り返してのようやくの当選だったので、とても楽しみです(どんなライブになるのかわからないので、絶賛情報遮断中)。そちらについても改めて感想記事とか書ければなと思います。
それでは本記事はこのあたりで締めたいと思います。BUMP OF CHICKENと関係者の皆様に感謝。
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