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ビニール袋の中の世界

  自分は今、平坦な地獄にいる。
 自分は少し前まで、この世はロアナプラよりも地獄だと思っていた。目処の立たない人生の無意味さに腹を立て、幸福と辛酸の総量を勘案して、改善の兆しが無ければ数年のうちに事業終息しようと思っていた。当時の自分は会社の隣の建屋で死んだ先輩と己の間にはほんの薄膜しかないと感じていたし、たとえば玄関で躓いたとか、ワイヤレスマウスの電池が切れたとか、お気に入りの0.3ミリのボールペンをなくしたとかのほんの些細な角が、その薄膜を容易く破っても何もおかしくはないと確信していた。ブレーカーの弾力を指先で弄んでいるような感覚が常に身近に在った。いつの間にか自分に寄り添っていた希死念慮という黒猫は段々と大きくなり、いつの間にかその黒猫に飲み込まれ、生暖かい腹の中で半ば溶かされていた。

 何がいけなかったのだろうか、と言われれば、幼少期の人格形成からいけなかったのだと言う他ない。確かに環境的な要因はあっただろうし、直近、あまりに忙しかった時期を躁に頼って乗り越えようとしたのも良くなかっただろう。物心ついたころから気分の浮き沈みが激しいタイプ、強い言葉を使えば躁鬱傾向のある精神構造で、テンションの暴騰と思考の暴走を抑えるように気遣って生きてきた。その手綱を不用意にも離し、もしかしたらフリーハンドでこの聞かん坊を使いこなせるかもしれないと助平心を出した途端に、深く深く沈んでしまった。事業終息の判断時期のことばかりを考え、36度5分の体温に余命が融けてゆく音に怯え、玄関の段差に気を付けつつ、もし僕が不意に姿を消したとして、身の回りの人がその理由に悩まぬよう、遺書めいた『あとがき』を書いたのもその頃だった。(ここには公開していないので、興味があれば連絡ください)
 その頃にもともとあった不眠の傾向が一層ひどくなり、生活の糧を稼ぐのにも支障が出始め、適当なことを言って眠くなる薬を処方してもらった。あの不快な、瞼の裏でねばつくような人工的な眠気に鈍麻しながら、緩やかに酩酊し続けるような日々に少しずつ回復していたのだと思う。黒猫はある程度の大きさに戻り、指先のブレーカーの感触も少しずつ薄れていった。そして平坦な地獄が残った。

 これは半ば溶かされた時に腹の中に置き忘れてしまったのだろうか。無関係に加齢のせいかもしれない。以前は確かに持っていたはずの物事に対する執着が、か細く頼りないものになっていることに気が付いた。睡眠欲、食欲、性欲、物欲。ヒト、モノ、コト。なにかに執着しようという強い意志が枯れてしまっていた。今の僕は事業終息に対して執着していない。しかし生きる事にも執着できていない。
 嬉しいことは嬉しいと感じる。辛い事も依然と同じようにつらく感じる。新車をドアパンした時や親友の結婚式など一丁前に落ち込み、やせ細ってゆく秋の陽射しに気分が落ち込みもし、はやくすべてが終わってしまえばよいのにと日々思う。しかし一方で、すべてはなるようにしかならないのだろうという半ば前向きな疎外感と閉塞感に常に囚われている。
 足元にすり寄ってくる黒猫にタバコなどをあげて機嫌を取りつつ、過ごした一日一日は、鱗となって一枚一枚身体に貼り付き、少しずつ感覚は鈍麻してゆくけれど、その鱗で可動域は狭くなり、重くなった身体は地面に気怠く引かれてゆく。そんな感覚。

 ビニール袋に宇宙を入れられることをご存じだろうか。ただビニール袋を裏返せばいい。外向きになったビニール袋の内側にこの宇宙はすっぽりと入る。自分は今、その裏返したビニール袋に頭を突っこんだような気分でいる。この世界の矮小で閉塞した外側にいて、この世界の内側には干渉できないような気分でいる。ビニール袋の口で世界とつながってはいて、また袋越しに影響を受けはするけれど、本質的には隔絶した場所にいて、息苦しく緩やかに低酸素状態に陥っているように感じる。ぼやけた頭と視界で内側の世界を眺めているようだ。

  しかしまあ、暫くは、この平坦で色あせた1分の1スケールの平坦な地獄を、歩いてゆこうと思う。

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