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君の街まで

 上りの東海道新幹線。間の抜けたオルゴールのメロディー。
 4月1日の車内に充満した感傷がブレーキ音に乗って頭に入りこんできて、思わずイヤホンで蓋をする。ASIANKUNG-FUGENERATION「君の街まで」。
 ふと、3年前に反対向きの車内で同じことした記憶がフラッシュバックする。その時は確かRADWIMPS「スパークル」。ついでにその前の晩、「ラストバージン」を聴きながら落涙した苦い記憶も。

 あの日、未曾有の事態により2カ月遅れて旅立ったあの日、慣れぬ夏日のマスクに喘ぎながら、右乗りエスカレーターに運ばれて辿り着いた遥か彼方で1000日余を過ごした。

 その街は僕の予想に反して鷹揚に僕を迎え入れ、またその街で僕自身は僕の予想外に社会人の振る舞いが苦痛なことを痛感した。

 この1000日余の間に僕は多くの友人関係を揮発させ、恋路から逃げ出し、祖父を亡くした。歯と肝臓の健康を失い、体重は3割ほど減った。
 その代わりに得たのは、社会人ロールプレイングに対する強迫行動的な過剰適応と拒否反応、マスクの下で吐いた弱音の再吸入、左耳の止まない耳鳴り、サブスク楽曲プレイリストと二心房二心室に蓄積した永久変形だけだったように思う。そして、いつのまにか輪郭を明確にし始めた希死念慮は、黒猫のようにどこまでも付き纏うようにになった。こいつとはこの先も付き合いが続くろう。おそらく一生。生きている限り。

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 “地元の喪失”というのが、この3年の経緯であり結論なのかもしれない。
 これから帰る街は、3年前は“僕”だけがいない街だった。しかし今となっては記憶に無いビル群や駅舎、そして途切れさせた数多のRe:Re:が固着した、過去の“君”の街になってしまった。
 僕にとって東京は年数回だけ訪れる場所になった。しかしながら、関西にとって僕は3年経ってなお異邦人だったのかもしれないなと思う。

 思えば、どこかに行きたいと思い続けた3年間だった。深夜の徘徊癖が悪化し、遂には自動車を2台とバイクにまで手を出した。
 自分が居るべき場所を探すというよりかは、自分がいなくて当然の場所を彷徨くという消極的なものだったけれど。

 もしかすると、家訓破りのバイクに乗り始めた理由の一つに、隣で常に空欄だった助手席に耐え難かかったというのもあるのかもしれない。人と繋がることを恐れ、忌避し、自分で選んだ道を進みながらも、掴み取れていたかもしれないもっと真っ当な生き方の可能性に責め立てられているようで。
 人が動く理由には畏怖とifしかないとは、よく言ったものだと思う。

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 通算5回目のブレーキ音が響き始め、車内が俄かに浮足立った。足元の猫も身じろぎし、背中を擦り付けてくる。
新居に着いたら、青空の下で散歩でもしようと思う。黒い猫を小脇に抱えて。

4月に帰ります。君の街まで。

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