冬の朝の話し
京都の冬の朝は寒い。
今年は例年に比べて暖かいけれど、
それでも早朝は京都の盆地ならではの、
底に溜まった寒さが身体に刺さります。
寒さはとても身に染みますが、
私はその冬の寒さが決して嫌いではありません。
4年前まで介護職をしていたとき、
早出という早朝勤務に出るために、
私は5時半には起床していました。
そのときの空はまだ夜明け前の真っ暗闇で、
目の前の景色も眠っているようなそんな錯覚に陥りました。
けれど冬の寒さが身体に染みる。
そんな中をバス停までテクテクと約15分歩いていました。
そうこうしてるうちに、やがて東の空が明るくなり日の出がやってくるのです。
濃紺だった空は、やがて青紫になりそしてオレンジ色へと変わってゆく。
バス停までの道のり、約15分間は眠気を覚ますためにも、とても良い時間なのでした。
前にもお話ししたかもしれませんが、
清少納言は、枕草子でこんな冬の朝のことを
「 冬はつとめて
雪の降りたるは
いふべきにもあらず
霜のいと白きも
またさらでもいと寒きに
火など急ぎおこして
炭もてわたるも
いとつきずきし
昼になりてぬるく
ゆるびもてゆけば
火桶の火も白き灰がにちに
なりてわろし 」
と言っています。
これを簡単に現代語訳すると、
「冬は早朝が良い。
雪が降っているのは言うまでもないけれど、霜が白くなっていてもそうでなくても、その寒さに火を慌てておこし、炭を持っていくのも冬の朝にはふさわしいものですね。昼になって、寒さが段々和らいでいくと炭の色も白くなっていくのは好きじゃないけれど…」
みたいになるかと思います。
平安時代の女官たちは朝の火起こしでバタバタしていたのだと思いますが、寒い冬の最中炭をおこす様子もまた、冬っぽいと清少納言は感じていたのではないでしょうか?
冬の朝の風景は、とても好きだなと個人的には思います。
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