見出し画像

自分の人生は自分だけのもの

また間が空いてしまった。
ちょっと最近はとくに仕事が忙しくて、平日は大体8:30から22:00までパソコンに向かっています。テレワークなのが本当にありがたい。。

今日の朝父親にすすめられて、『あなたの瞳に話せたら』というドキュメンタリー映画の上映会+監督のトークショーをオンラインでみた。
東日本大震災の津波で妹を失った女性が監督をしている作品なんだけど、こういうのをみるといつも「自分が経験したことしか本当にはわからないなあ」と思う。
戦争映画にしてもそうで、めちゃくちゃ泣くし主人公に同情はするけど、どこか自分とは関係のない出来事だと思っている。
そう思ってしまうのは仕方のないことだと思っているからこそ、変に何かを伝えよう伝えようとしてつくるのではなく、そのとき想像できる限りのリアルをできるだけありのまま伝えてくるもの、それを観るものに登場人物の心の動きを想像させ、これをつくったひとは何を伝えたかったんだろう…?を考えさせる映画が最近は好き。

感情というのは流動的だし、ほとんどは一時的なもので、でもその感情の揺れ動き自体が「生きている」ということだと思う。
何歳になっても、ああ、めちゃくちゃ生きてるなあ自分、という人でいたい。

周りの人たちに守られていた子供の頃と違って、自分のことは自分で守らなければいけない大人になって、周りとうまくやるために自分の気持ちを抑えたり、空気を読んだり、立場をわきまえたり、外では何をするにも常に自分以外の何かを意識している。それが大人になるということなのかもしれないな。

社会人としての義務を果たすためにはそういうスキルはあった方がいいのはわかるんだけど、でもそれってどうなんだろう。

それが人として成長するっていうことなんだろうか?
大人になればなるほど、それまでの経験で何かを悟ったふりしていろんなものや人を諦めたり、斜に構えたり、こんなもんだと見くびったり、それでおもしろいことなんてあるんかな。

やりたいことはやる、言いたいことは言う、ただし、自分が正しいと思うなら
常に本気で、自分の身に起きる出来事や自分の抱える感情に対して向き合っていきたい。
まだまだ自分の知らない世界があって、知らない人がいて、その人たちみんなが違う経験をして、その時々でみんながそれぞれの心を動かしているんだということを忘れないようにしたいし、いろんな本や映画、実際の経験を通して自分の中の「正義」を常にアップデートしていきたい。
インプットをやめたらそこまでだし、アウトプットをやめたら、せっかく得られるものが限られると思う。

再来週は、はじめてちゃんとした登山をする予定。
最近はもう誰になんと思われてもいいや、という気持ちが強くなって、初めてでもうまくできなくても、興味のあることはなんでもやってやろうという気持ち。
その一環で、昨日は寿司を握った。
お寿司は食べるものだったのに、私にとっては握るものにもなりました。

おもしろいよね、人生って、っていいながらラフ&タフに生きたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?