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暗闇のエーテル(第2章 砂丘)

 暗闇の中。ぴっぴは一人子供が放り投げた積み木のように転がっている。西の方角から糸ほど細い光の筋が顔を通過し、乾いた固い地面を照らしている。地面は母親のお腹の中にいた時のように暖かい。洞窟を反響する風のような声に似た音が聞こえる。何者かがぴっぴを呼んでいる。それは以前覗いた切り株のウロの中から聞こえた音とよく似ていた。

 目を開けると茜色の毛布がかけられていた。両手をついてむっくり身体を起こすと地面は乾いた砂地になっている。手についた砂を払い、身体にかけてあった毛布を折り畳むと、ごろりと小さな筍が砂につき刺さる。ダンキー爺さんは何処にもいない。不思議に思いながらも毛布を畳むと脇に抱え、右手に筍を持って辺りを見回す。

「がらん…がらん…。」

 心もとない。見渡す限りの砂地で植物は一切生えていない。振り返り遥か先に焦点を合わせると、ゼリービーンズ菓子のように無数に光る点が一所に集中しているのが見えた。

「あすこにいけばひとがいるかもしれないです。」

 独り言を呟くと、希望のある方へ足を動かす。砂地はさらさらとして深く積もった雪のように、ぴっぴの足をどこまでも除けて沈み込む。一歩、また一歩と砂地に足をとられながら小さく前進してゆく。ホースの上を歩いていた時の長閑な陽気とはうってかわり、白い頬には風が砂とともに叩きつける。太陽に近い場所なのだろう。強い日差しが容赦なく旋毛へ突き刺さる。先ほど脇に挟んだ毛布を再び広げ、頭からすっぽりと被ると鼻の前で左右の端を掴み、重たい足を一歩一歩前へ、前へと進めて行く。

ザボ、ザボ、ザボ…

 砂丘は山と谷から成り、直線距離であればなんということはない道を、登ったかと思うとまた下り、再び登るというのを繰り返しながら進んだ。足の裏が熱せられたフライパンの上にいるように熱い。

「ゴホ!ゴホゴホ!」

 砂嵐のせいで喉がいがいがする。窪地に差し掛かると紅茶を飲むため座り込んだ。手に持っていた筍を置き、毛布の中をごそごそと探る。

「ここにかけたかな…」

 毛布を捲ったり潜ったりして探したが、水筒はどこにも見当たらない。

はっとした。

「さっきぶっつかったせいで、どっかにいっちゃったんだわ。」

 喉の乾きと心細さから目から涙がぽろぽろと溢れだす。

「ふぎゅ…ふぎゅぎゅ…。」

 涙は砂埃と混じり、猫のように鼻の骨に沿って目脂が溜まってゆく。

 しばらく泣くと疲れた。目をグジグジ擦ると呆然とする。それでも何も起こらないので仕方なくゆっくりと両手で毛布を頭にかけ直す。そして誰も居ない事を確認すべく辺りを見回すと、か細い声で呟いた。

「おなかがすいたなぁ。」

 途方に暮れ、ただじっと座り込む。砂が何度となくぴっぴの前で旋毛を巻き、その場でふわりと消える。喉を潤すのは諦め、仕方なく歩き出そうとすると、目の前の砂漠が動きだした。ぴっぴは目を擦り、もう一度動くものに目を向ける。足元まで来ると目鼻が見えた。砂漠と同じ色のオオミミトビネズミが円らな瞳でぴっぴを見つめている。

「…。」

 ネズミは背筋をぴんと伸ばしたまま、微動しない。ぴっぴは慌てて立ち上がろうとした。ところが頭に被っていた毛布が身体に纏わりつくと転がり、もたもたしている間に、ネズミはどこかへ走り去った。

「ねずみさん、まってくださいー。」

 声は風にかき消され、また元の何もない灼熱の砂漠に一人取り残された。ぴっぴは再び項垂れる。

 落ち込んでみたところで状況が変わるわけでもなく、仕方なく再び歩く事にした。登っては見える色の点々に期待し、下って見えなくなると目を瞑りまた登る時が訪れるまで足を動かした。やがて日が落ち、昼の間あんなに痛かった陽射しがなくなると急激に冷え込んだ。少し歩き易くなったので一気に進み、漸く色の元まで辿り着いた。

 ゼリービーンズはビーチパラソルだった。海の見当たらないなだらかな斜面に、無数のビーチパラソルが不規則に突き刺さり、夜風に吹かれてばたばたと不気味に音を立てている。

「だれもいないのですね。」

 拍子抜けし、目をぐっと見開いたまま先ほどの乾いた目脂の上に更に涙の筋をつけた。そして砂の上にしょんぼり座り込むと、首だけを動かし虚ろな目で辺りを見回す。

 月の柔らかい光だけでははっきりと景色を特定する事は難しい。それでも根気強く顔を上げ遠くを見渡すと、ビーチパラソルの向こうに岬が見えた。頂上にはぴょっこりと細長い建物があるようで、背後がぼんやりと輝いている。昼の間気づかなかった事を不思議に思いながらも嬉しさで声を出した。

「ひかり!」

 その目印を見つめたまま疲れた足の裏をなんとか砂地に押し付けるとゆっくり立ち上がり、縺れつつ引きずりながら再び歩き始めた。棒のように曲がらなくなった足を片方ずつ前に運びしばらく歩くと岬の裾まで辿り着いた。この先は砂地から粒子の荒い砂利道へと変わっている。登り始めると案の定裸足に砂利が食い込んで激痛が走る。

「うぃたたた…。」

 それでも懸命に歯を食いしばり登って行く。

「きーのうみたーいちょうのーはっぱーらとんでーったーー。」

 氷のように冷たい砂利道を、歌を口ずさみながら登る。徐々に砂利の粒子は大きくなり、頂上に着く頃には大きな岩さえ現れた。大きな岩の周りには、水分が少なくても育つ芝生が力強く生えている。

「ヒュー、ヒュー…」

 登っている間中不規則になっていた呼吸を整えようと、意識的に息を吸ったり止めたりすると喉と鼻の間から変な音が出る。ゴクリと乾いた喉に唾液を飲み込み、目の前の建物だけを見つめ歩き続ける。

「もちょっと、もちょっと…」

 満月が鳥の子色に輝き始めた頃、やっと建物に辿り着いた。それはぴっぴが未だ嘗て見た事のない、巨大な灯台だった。


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