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あとがき

 史上最弱の主人公、ぴっぴは私の分身でした。この作品は10年以上前に書いたものを、応募する度に手を加えてきたものです。

 物語の中でぴっぴは4歳から自分の中で時間を止めています。かなりバイアスをかけた設定ですが、実際は誰にでも起こりうる衝動だと思っています。

 人は大きな障害に直面し、その事実を受け入れることが出来なかった時に心の時間を止めてしまうことがあります。そして多くの場合、止まっていることに気づいていない、もしくは進め方がわからないという状態になっています。私自身も大切な人を亡くした経験があり、それを元に書きました。

 もう一つは、「目が見えていない」という設定です。しかも、ただ見えていないだけではなく、ぴっぴは独自のまなざしを持っています。これについてもアイコニックに「目が見えていない」としていますが、本来私たち一人一人の見ている世界は生涯誰とも共有されることはありません。そしてそれは視力だけでなく認識全てにおいて共通すること(私の思っているあなたとあなたが思っているあなたは全く同じではない)です。そのため物語の最後までぴっぴは自分の世界が他の人に見えていることを理解できません。他の人も、ぴっぴが見えている世界「だろう」という仮定の元、映画祭を実行します。

 人は永遠に自分からは出られないという宿命の元で物語は進みます。そして当たり前に存在していると思っている人物がや空間が消えてしまうこと、ありもしない場所に出現すること、置き換わってしまうことで、現実空間と記憶の中にある空間などが混在し、確証のない曖昧な世界を作り出しました。

 それでも気持ちを伝え合い、重なった瞬間を信じ合うことで灯台はぴっぴの延長した身体として生き続けます。そして船の帆という支持体を得ることで全く意図せずぴっぴの見ている世界が浮かび上がります。

 私は「映像」というメディアに強い拘りがあり、誰もが心の中に持っていて物質的に形を為していない「イメージ」と呼ばれるものは、確かに存在していると思っています。

 そしてこの物語を書いていた当時私は社会人になって間もない頃で、表現する行為自体に否定的な意見を多く耳にした時期でもありました。つまり自身の「イメージ」、信じている世界が失われるような危機感がありました。

 灯台の映像は私自身の希望であり、誰に何を言われようと失いたくない自分にとって大切なものの象徴として像を結んでいます。

 この小説を書き始めた当時は東日本大震災も起こる前で、日本全体が今日のように閉塞感を抱いている状況ではありませんでした。

 コロナ禍などという状況が当時の私には全く予知できませんでしたが、最近起きている個人的な無差別殺人、放火など自分の存在意義を見出せない人がきっと世界中におり、今も辛い気持ちで暮らしておられるのだと思います。

 物語でお腹をいっぱいにすることは出来ませんが、一人でも多くの心に優しい灯台の光が灯ることを願っています。

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