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絵画コンクールに応募した

事の始まりはNHK朝ドラ「らんまん」だった

事の始まりは、NHK朝ドラ「らんまん」だった。4月から放映されたこの連続ドラマはかの牧野富太郎・植物学者の生涯をドラマ化したものである。英国のBBCやオーストラリアのABCと比較して、時の政権を批判するジャーナリズム精神に欠けるNHKは、「72時間」と「ブラタモリ」以外は見ることがすくなかった。そのNHKにチャンネルを合わせたのは、主人公牧野富太郎に対する興味からであった。

読書好きであった亡き父(父は私が4歳の時に他界した)の蔵書に植物図鑑があって、小学生の私の夏休みの宿題としての植物採集の、そして毎回焦ってくる8月末になると、その図鑑が私の大切な友となっていた時期があった。私はその図鑑でシロツメクサをカヤツリグサを知った。まさに「夏休みの友」であった。後年当時高校教師であった妻が、同僚の理科教師にその話をしたところ、大変興味を持たれたときいた。それらを思い出した私は、毎朝この「らんまん」にチャンネルを合わせていた。ドラマでは万太郎と改名されている富太郎の植物画が、重要なテーマになっていて、私は即座に彼の植物図鑑をamazonから取り寄せた。

家にあった図鑑はもっと厚手で黑表紙であったと記憶する

翌日送られてきた現物を目にした私は、ん?と反応し暫し困惑していた。それは、こんなものじゃなかった、という失望感だったが、しばらくページを進めて行くと、その線描に富太郎の強い意志が込められている事に気づいた。私は次第にある種の圧迫感を感じていた。その感覚は、普段私が好きな画家の絵を見るときのうっとりするような幸福感とも、凄いなこんな風に描きたいなというような羨望感とも別物の線描の力であって、いわゆる芸術的感動とは別物であった。その線描画は細部の正確さが強調されていて情緒性にはむしろ欠けてさえいた。これまでの私だったら、この手の絵や表現には、あ、そうねという感じで、ことさら興味を示すことはなかったはずだ。ところが今回、私がとった行動は、スマートフォンを持って外へ出て家の周りの雑草を写すことだった。私は、まずはこの手で描いてみたいと思ったのだ。そのための手始めとして雑草の写真を撮ろうと思いついたのだ。私は、情緒性に欠けるこの種の植物画が放つ力に初めて引き付けられていた。

窪地になった住宅地の外れにある我が家・賃貸一戸建て、雑草の宝庫

窪地になった住宅地の外れに位置する我が家(賃貸一戸建て)の裏側は林になっていて雑草・草花・樹木の宝庫でおまけに竹林すらあった。私は手当たり次第になも知らない雑草(本来雑草という呼称される草花はあり得ない)を撮影し仕事部屋に戻って、写真をチェックした。写っていた多種多様な”雑草”の中から私は、ヒメジョンとキキョウソウの2種を選んだ。もちろんその時点ではどちらも見慣れてはいたものの名も知らぬ”雑草”だった。ところがインターネットの植物同定アプリでヒメジョンとキキョウソウという名前を知ったその時からそれらは私にとって雑草ではなくなっていた.

キキョウソウ。私には見慣れた”雑草”で、オオイヌノフグリとともに子供のころから好きな草花であった、
ヒメジョン。白い花を咲かせる”雑草”である。似たような種にハルジョンがあるが私には区別がつかない。

私は縦120㎝横100㎝ンチの、かなり大きめキャンバスを用意して、下絵は描かず直接このかなり大きめの画面に気の向くままに即興的にヒメジョンとキキョウソウを描き始めた。何ら計画せずにただ出てくるがままに筆を走らせようと思った。具象画にするのか抽象画にするのかさえ決めていなかった。それは草花たちが教えてくれるはずだと思っていた。するとgenerativeという単語が頭に浮かんだ。草花が成長・生成するように、絵画自体が生まれて生成・成長する。作者の意思操作を超えて絵画自体が完成に向けて成長する。そういう作業ができないものかとかねてから夢想してきた。つまりgenerative artを、AIやアルゴリズムとかいう私には理解できないテクノロジカルな操作から解放し、generativeの字義通りに、つまり絵画自体が自らを”生成”していくような、gegnerarive paintingを実験して見ようと思い出していた。私はまずヒメジョンとキキョウソウを描く。それはまさしく私の筆先からヒメジョンがあるいはキキョウソウが生成され、成長するかのようであった。でもそこに生まれるヒメジョンもキキョウソウも牧野富太郎の植物画の解剖学的な精密さは持ち合わせず、そこにあるのは草花の持つ雰囲気でありそれらが包まれる空気感であった。それは草花に情緒的に反応する私”心の状態”を代弁しているのだ。”これが私の植物画だ!これでよいのだ!”と自らに語り掛けていた。富太郎の植物画に感じる強さは、その草花を解剖学的に正しく知りそれを表現したいという植物学者の科学の眼であって、私の筆が生成する”私が感じた”草花と別物であったことに気づいたのだった。

パーキンソン病になってしまった

さてここで私はこれまで触れてこなかった、持病であるパーキンソン病のことを書かなくてはならない。私はパーキンソン病と診断されて既に10年経つのだが、最近は、ドーパミンを補強するLドーパの量が増え、またジスキネジアも出始め、決して病状は良いとは言えなかった。それ故精神的にも鬱・不安に悩まされていた。こうした病の進行を多少なりとも遅らせるには、できるだけウオーキングやストレッチなどの運動をする、新しいことに挑戦するなど、できるだけポジティブに活動するのがよいとされていた。その事を気にしていた私は、何かしら手を打たなければならないと思っていた。そして私は、この絵を描き始めるのはその第一歩だと感じていた。事実私は22年に及ぶオーストラリア生活の後半10年は木版画の制作に集中したため、まったくというほどいわゆるタブローを描いていなかった。真っ白な大キャンバスにむかった私は、学生時代に初めて100号キャンバスに挑戦したときの、新鮮な緊張がよみがえり、「うん、こういうのも悪くはないな」と思わずひとりごちた。

私の筆先から生成される草花が”私の心の状態”と密接に関わっていることに気づいてから、私は今この草花を生成している犯人・張本人である私をこの場面に登場させたいと思い自らを描く・生成することにした。パ-キンソン病患者である”パーキンソン・ノリオ”の登場だった。それはあくまで も  generative でなければならない。生成する絵画は、描き手の”心の状態”を反映しなければならない。私はなぜ草花を描くのか?なぜその中に自分を入れるのか?そもそもなぜ絵を描き始めたのか?私は、”意味”を考え始めていた。

いけない、generative  art , generative painting だったっけ。頭で考えてはいけないのだ。意味を考えて作り上げては”生成”にならないのだ。その時私は制作には、必須であるBGMがなかったことに気が付いた。geneative art なら イーノ(Brian Eno)と相場が決まっている。私は"Another Day On Earth"(2005)をかけた。イーノの音楽は草花を描いているときのBGMとしては最高だが、私が描きたい人物像は出てこないようだ。私はイーノとのつながりでデビッド・バーンの American Utopia をかけた。すると突然アインシュタインの 舌を出した顔写真が見えてきた。これだ!と思った。彼がなぜ舌を出したかは、この時点では知らなかったが、私には彼はきっと世間全体に、愚かな世間に対して皮肉とユーモアを込めて「あかんべー!」をしているのだな、と勝手に理解した。私も世間にあかんべーをしたいなーと思っていた。私は早速鏡を持ってきて自らのぁかんべーをスケッチし始めた。 

このユーモアと諧謔が好きだ
Brian eno ”Another Day On Eartℍ
David Byrne ”American Utopia”

鏡に向かって舌をしているワレの顔を凝視していると、アインシュタインはどういう気持ちで、舌を出していたのか想像がふくらんできた。彼が舌を出したのは、72歳の誕生日パーティの後でメディアのカメラマンに笑うように催促された彼は舌を出した、とされている。同行していたFranke Aydelotteによると、彼が舌を出したのはメディアに対する抵抗や反感ではなく、社交的でない彼の”照れ隠し”だそうだ。彼自身この写真が好きで、カメラマンに焼き増しを頼んだそうだ。 偶然にも私もちょうど72歳でであったことに気が付いた。

ベロ出しノリオの描き始め。不気味さが漂う

私は次第にノリオからアインシュタイン化してゆく気がしてきた。アメリカン・ユートピアの一場面で、デビッド・バーンが人間の脳を手にもって歌う場面が頭に浮かんできた。私は一気に、私・ノリオが舌を出しているところを描きだした。どうも顔が不気味だ・・・陰影に問題がある・・・色を変えよう・・・背景も違う・・・。試行錯誤。

まだユーモアに欠ける(Vサインがない)

少し落ち着いてきた。”雑草”の中にそれと対比的なコブシの白い花を加えた。背景の渦巻きはほとんど消え、カミナリかブラックホールのようなパワーの源泉か?今にわかってくるだろう。顔にユーモアが欲しい。アインシュタインにはそれがある。舌だしにVサイン。抵抗心?反発?怒り?反してユーモア、茶目っ気、やんちゃ、諧謔etc. すべてを批判するとと同時に受容する・・・

ノリオのVサイン

横で見ていた妻ユミコが言った。「ピース!のVサインがいい!」私は「それだ!」と思った。顔との比率が合うように注意しながら手指のVサインを描き加えた。

コンクールにだしたらいい

妻が何気なく呟いた。私はその言葉にはっとした。日本に帰国して、数か月後にパーキンソン病であることを宣告された私は、闘病が生活の一義的な目的であり、アートの活動は絵画教室とともに続ける努力はしてきたものの、どうしてもその意味合いは病気の進行を遅らせるためという、どちらかといえば二義的であった。コンクールに出品するというヒントを得て、私はそれもいいな、と即座に思った。さっそくネットで絵画コンクールを検索してみた。そこでみつけたのが宮本三郎記念デッサン大賞展

宮本三郎記念デッサン大賞展

 「洋画家・宮本三郎(1905-1974)は、石川県小松市に生まれ、若くして画家を志し上京しました。昭和初期からは東京都世田谷区にアトリエを構え、ここを拠点とし制作を重ねました。宮本の優れたデッサン力は創作の源泉であり、画家としての資質を色濃く伝えるものです。
 一本の線から生まれたかたちには、それを描いた人の感性や心の動きが表れ、それぞれが独特な表現への可能性をひめています。宮本三郎は「一枚の白紙と一本の木炭があれば、 その精神が対象と一体となって、充分の活動を開始する」と、 線が創りだす造形の妙味を述べています。
 このデッサン大賞展は、線や様々な手法によって生み出される豊かな表現を求める場として生まれました。新たな表現の地平をおし広げるための一本の線、そして、新鮮な技法、創造の明日を拓く独創的な表現を求めます。」

と募集要項にあった。デッサンは、一般的には単色で描かれた素描画・線描画を意味する。果たして私のようにキャンバスにアクリル絵の具で着彩されたタブローが、この募集条件に適合しているのか?疑問だった。ところがQ&Aに次のようにあった。

「Q. デッサンとありますが、色をつけても良いのですか。また、絵の具以外の画材や素材(鉛筆、コンテなど)は使用しても良いのですか?

制作者のデッサンの考え方で、着彩されていても良いです。絵の具以外の画材や素材が必要な場合は使っても良いです。 (応募要項の作品規定お読みください。」

とあり色付き自体はスルーした。それでも審査の基準は、デッサンと名打ってる以上、私の作品は出品条件に適合しているのか?疑問・不安は完全には払拭されない。

まあ、いいや。あかんべー。すべてにあかんべー。

私は、色付きokの説明を拡大解釈して、ここに出品することに決めた。私にはコンクールに出品するというその能動性が大事だった。パーキンソン病と闘うことはポジティブに生きることと同義であった。申し込みの締め切りが5月25日。作品搬入の締め切りが6月18日。作品は額装して発送して到着するまで4~5日掛かるだろうから6月13日近辺には完成させたい。今日は5月20日だから作品完成まで3週間ぐらいしかない。

やってみよう。細かいことは、すべて棚に上げて、心配にあかんべー。
Ⅼドーパが切れると動きが鈍くなって、頭も働かなくなって、うつ・不安が出てくる。俺が動けなくなったら、要介護3の身障者・妻ユミコの世話は誰れがする?
しゃらくせー。すべての心配にあ・か・ん・べーだ!
アインシュタインとともにあかんべーだ。

それから3週間、私は制作に熱中した。妻ユミコの介護も家の家事も最小限に端折って制作に費やした。妻ユミコも協力してくれていつもの"help!"の回数も減った。服薬を忘れるほど熱中した。ドーパミンは自然分泌されたようだ。

サインして額装した


完成品

やったあー 完成だあー


20年くらいタブローを描いていなかった。オーストラリアでは前半の10余年はコンセプチュアルなインスタレーションを、そして後半の10年は生活費を得るために、ジャポニスム的なポストモダンの木版画を制作していた。そして帰国後はパーキンソン病を診断され、絵画教室以外は、その進行を防ぐためのリハビリ的な活動が生活の主たる目的と化してしまい、自分に絵を描く力がどれだけ残っているのか、自信が持てず「手が動かなくなったら、マチスのように切り絵でもやったらいい」とユミコと話していた。夢中で描いているときは、Lドーパの服薬も忘れて熱中した。ドーパミンが自然に分泌されるようだ。その代わり、そのことに気づいた途端に動きが悪くなるのだ。皮肉なものだ。

見事に撥ねられた!

落選の通知

結果は、見事選外であった。入選位はするだろうと高を括っていた私は、もちろん落胆した。それゆえこの顛末記をnoteに寄せたのだ。でも落胆していては、闘病にならないので今回の顛末を整理して前に進みたいと思ったのだ。末期に入った人生をポジティブに生きたいと計り、事の顛末にどう落とし前をつけるかがこのレポートのシメとなる。さあ、まとめてみよう。

落選をどう捉えるか。

今回の結果の解釈
①出品先を間違えた。
受賞作をネットで見る限り、着災画が少なく”凝ったデッサン風”が多い。私の作品のようなっタブロー絵画は、この条件からはずれるかも?
②審査員のレベルが低い。
審査員の方々には大変失礼な話だが、理論上あり得ることである。絵画の評価は主観的であり、良し悪しに客観的な基準がない。審査員の鑑賞眼が作家の表現力や表現内容のレベルに到達していなければ、審査はできない。
③作品のレベルが低い。
これは単に私の作品の出来が悪いということで、他の受賞者・入選者の方が優れていたということ。

以上三点が、あり得る結果解釈だが、そのいずれにおいても、その判断・評価は主観的であり客観的ではない。これは芸術の基本的な性質に起因するもので美は主観的であり客観的なものはないそれが美術・芸術の魅力でもある。そう考えると美術の世界では、コンクールそのものが意味を持たないのかもしれない。

ここまでお付き合いいただいた読者の皆さんはどう思われますか?一体美術作品に優劣というものはあるのでしょうか?コンクールに参加したした私が愚かだったのでしょうか?
ご意見をお聞かせください

付録
牧野式植物画とノリオ式植物画とアインシュタイン式ア・カ・ン・ベー精神をgenerative painting としていかに関係づけるか?それがノリオの新たな挑戦であり、その第一作目はすでにスタートした.

スタートした新作

皆さんまたお会いしましょう!See You Again! from Norio with Love.


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