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卯月コウを推していて本当によかった、ありがとう。


引退する時に別れ際にリプライ、またはコメントするような言葉を私は呟いていた。
Vtuberグループ、にじさんじに所属している卯月コウはその日、引退したわけではない。
普通に数日後、秋の風が薫り出した9月の初旬に
夏の写真コンテストを配信しているし、近々雑談配信をするだろう。

明らかに日常とは反した重い感情が込められた、その言葉が引き出されたのは、彼の歌を聞いたからだった。

Vtuberグループにじさんじのメンバーに、1人1人に焦点を当て、「FOCUS ON」と題しCDとして発売するプロジェクト、その順番に卯月コウが回ってきた。

色々な予約特典があり、どうしてもアクリルコースターが欲しくて初めてアニメガに会員登録して購入した。

にじさんじ公式X(ツイッター)からちらちらっと彼の二曲の1フレーズ流れるのを聞いて、ふわっと楽しみにしていた。そう、「普通に」楽しみにしていた。
9月6日、パートの仕事を終え、車に乗って帰って
わくわくしながらアニメガの封を切り、卯月コウのFOCUS ONのCDを手に取った。
最近あまり使ってないパソコンにCDを挿入して、少し経ってからWindowsメディアプレイヤーが開いた。


ずっと、ずっと、ずっと、
「放課後シャングリラ」と「何者」を聞いていた。


学生時代を共にした、古い、古いウォークマンに彼の歌とインストと彼の収録音声をダウンロードし、隙あれば曲を流し、特に、放課後シャングリラをループしていた。
めちゃくちゃ、めちゃめちゃに自分に刺さってしまったから。

弾けたくす玉みたいな青春、群青色の群像、
向こう側はキラキラ光っていて、綺麗で美しい夏の空みたいな青色を映し続けている。
これがきっと普通の、明るくて、明日が来るのが楽しみで、素敵な学生時代を送ってきた人間の見てきた「エモい」世界なのだろう。

でも自分はそちら側ではなかった。
明日なんて来なくていいのに、夜がずっと続けばいいのに、と、ふと学校から帰ると思ってしまう。家でゲームや、アニメや、お絵描きや、パソコンでニコ動のMADを見てる方が楽しかった。
薄暗い灰色。鮮やかな群青色には、そんな風にはどうしてもなれない自分。
なのにそんな青春に憧れがある。
陽キャには絶対なれない、陰キャ。
でも、陰キャと呼ばれるのは死ぬほど怖かった。
こそこそと話をしている人は、みんな私の事をアイツは陰キャだよね、と、嗤ってるんじゃないかと思い、気になって仕方なかった。

周りに合わして自分を隠して、隠して、隠し通して陰キャと呼ばれないように、分からない話に同調して、頷いて、相槌をうって、笑う、笑って、笑え、笑えばいいんだ。
クラスメイトと接する時、そんなよく分からない存在になってしまって、
私は、卯月コウと同じ中学生の時、「親友」と呼べる人がいなかった。

1人でいる時間が好きだった。でも、それは本当に1人でいてもいいときだけだった。
クラスの皆がわいわいしているときに1人でいるのは辛かった。怖かった。誰かと一緒にいなければ、と焦りがにじみ出てくる。だから演じていた、「友達」を「自分じゃない誰か」を。
周りの人達と話ながらきっと卒業したらもう会わなくなるんだろうな、と、何となく思っていた。

自分のずっと持っている夢を話した事もあった。
笑われた。だから私も、だよね、無理だよね!と笑った。「友達」の1人だった子に、落書きを描いたノートを面白げにクラスメイトに見せびらかされ、皆に笑われた。私はも~~!やめてよ~~!と笑っていた。すごくすごく悲しかったのに。

そんな自分が嫌いだった。好きじゃなかった。
自分の事を、こんな奴、友達だったら嫌だな、とずっと思っていた。

現実よりネットの世界の方が自分をありのまま出せた。
顔を見えない誰かに、好きな物を語って、ファボ(今で言う、いいね)をして、感想を伝えて、悲しかった事をギャグみたいに呟くのが楽しくて、嬉しかった。私の居場所は学校にはなく、本当の友達はネットだった。ネットにいる私が、本当の私だった。

現実の私は陽に当たる事なく、大人になって、就職した。
私じゃない私を、普通の人間を演じる毎日は、クソ程、面白なくて、辛くて、満たされなくて、ああ、きっと現実の私は、このまま何も得られないまま、人生に苦しみながら、誰にも理解されないまま、1人で死んでいくんだろうな、と思いながら年を重ねていた。

そんな時だった、Vtuberに出会ったのは。
最初は嫌悪感がすごかった。
二次元が好きなオタクとして、なんだか許せなかった気持ちがあったんだと思う。
でも、目に入ることが多くなって、自分にとっての入り口があって、どんどんVtuberの魅力に魅せられていった。
その中で、その存在が、私の生き方、考え方を大きく、良い方向に変えてくれたVtuberが数人いて、
その内の1人が、にじさんじに所属している卯月コウだった。

初めて見た彼の配信は、激辛のペヤングを頑張って食べる配信だった。


辛さを抑える目的でヨーグルトを入れたのに、不味くなった上に、辛さも全然中和できなくて、結局ひぃひぃ言いながら完食していた。
彼の存在を聞いた事がある程度の情報で見ていた私は本気で心配した。無理しないで~~😭とコメントした記憶がある。
でも彼の配信のコメント欄はえらく辛辣だった。

でもそれはアンチとか、嫌い、とか、そういう類いのものではなかった。配信者の彼と、リスナーという関係性なのに距離感が妙に近くて、謎の信頼感があって、安心感を醸し出している、特殊で不思議な絆。
そんな彼と、彼のリスナーに惹かれ、私もいつのまにか
卯月コウのリスナーになっていた。
彼の配信を見ていくと、その特殊で不思議な絆を自分も感じるようになった。ただ配信を聞いているだけなのに、妙に居心地が良くて、時々コメントをして、彼の話を聞く。分かるわ~~、何それ?、笑う、そんな言葉が彼の配信を聞くと自然と沸き上がってくる。
彼の雑談配信は至高。よく言われているが、私もそう思った。なぜなのかはその時、私はよく分かっていなかった。



その後、私はきっと彼を推し続けるのだろう、と確信を持った配信があった。

卯月コウを推している男性ファンのお便りを読む企画で、すべてのお便りが、彼の答えや見解が凄まじくて、
私が一番コウ君の配信で見直している配信だ。

そのなかで、最後の激重お便りに対して
卯月コウは
「後ろ向きに後ろ向きに生きた結果、前向きに生きてきた人が触れないものを見る、とかそういうのが好き」
「泥の中に咲く花の美しさ、というか」
「生きるの楽しい人が素通りしている綺麗だと思わない花を綺麗だな、と思う、そういうのが好き」
と答えた。

衝撃だった。
初めて「後ろ向きに生きる事」を肯定した人を見たから。
初めてだった。本当に、初めてだったんです。
信頼している家族にも、友達にも、上司にも、そんな事、言われた事がなかった。
この配信を見終わった時、初めて、卯月コウは何者なんだ?と思った。
畏怖とも、憧憬ともとれる感情を私は初めて卯月コウに持ってしまっていた。

この子は…この人は、このVtuberは、どんな生き方を、考え方を、どんな心を持っていたら、ここまで他人がわだかまりとして燻っているどうしようもない感情を、言葉として紡げるんだ?答えとして表現できるんだ?凄くないか?なんだこの才能は?と、自分は放心してしまっていた。
50年生きている上司よりも、人生への考え方、捉え方が上のような気がして…でもその実、彼は少年らしいマインドをしっかりと持ち続けている存在で…金髪碧眼の美少年の見た目をしたクソガキみを持ち合わせている永遠の中学二年生。
その明らかな齟齬が、バグのように脳に響き渡って 、彼の未来を見続けてみたい、という感情を沸き上がらせた。

そして彼を、全部…ではないが、自分のペースで今も追い続けている。そして、FOCUS ONに、放課後シャングリラに収束する。

自分に、刺さって、刺さって、刺さって!!
仕方なかった!!!

私の学生時代は、
くす玉は弾けなかった。
群青色は似合わなかった。
放課後は理想郷なんかじゃなかった。

授業を聞いているふりをして筆箱で隠しながら
広げた空想のキャラクターをノートの端に描いていた。

クラス会に誘われていないという歌詞、
フラストレーションと戦闘糧食を掛けた歌詞、
リズミカルな音楽で綺麗に歌い上げた歌詞は耳触りがよくていくらでもループできる。

後ろには誰もいない筈なのに、まるで私の後ろに卯月コウが机に座っていてプリントを受け取ろうとしているような映像が頭の中に流れる。窓からの光が顔の下半分だけを照らしている。その姿は少し魅惑的に見えてしまって、戸惑う自分がいるのだ。

そんな彼に私は大きくて、荒唐無稽な夢を話す。
彼は笑わないで聞いてくれる。
それが、どんなに暖かくて、優しくて、心強いのか彼はきっと知らない。それでもいいんだ。その虚像だけで、私は頑張れる。

教室の隅で過ごした日々も消して無駄にしない!!と強く、強く、強くこの歌詞を彼が歌ってくれただけで、どれだけの人間が彼に「ありがとう」と、「救われた」と、思うだろうか?
きっと彼に惹かれている人間は皆、教室の隅で過ごした日々を「無駄」だと、「あんな時間、忘れたい」と思ってる人がほとんどだと思う。私はそうだった。

俺は俺でずっといるから。
優しくて歪な、理想郷。

目の前に卯月コウが「実在しないクラスメイト」として向こう側の青春に負けないだろ?と言ってくれてるような美しくて優しい放課後をこの歌に関わった人達は創り出してくれた。
そうだ。負けてない。自信をもって言える。
当時の群青色に染まったクラスメイトより、今の私は幸せだと思う。
あの時、私は日陰にいたからこそ、灰色の学生生活を送ったからこそ、教室の隅の黒い退屈があったからこそ、卯月コウに出会えて、卯月コウが推しになったのだ。彼にハマれたのだ。
普通の人が知らない美しさや感情や綺麗な物を感じることができる。きっと、それは、すごい事なんだと思う。そう、思っている。

卯月コウだけじゃない、私はVtuberというジャンルにハマって推しがたくさんできた。色々なものをもらった。
人生に色彩がついた。

名取さなちゃんのおかげで、車の運転中が楽しくなった。
Bluetoothで彼女の雑談配信を流すと、ラジオみたいな感覚でドライブできた。彼女の言い回しやネットスラングをもじる面白可笑しい配信を聞くと、私も笑ってしまっていた。少し駄洒落を意識するようにもなった。

飛鳥ひなちゃんのおかげで、夜寝るのが楽しみになった。
配信頻度は多くないけど、その分、彼女のASMR配信を何回も開いた。最初の方だけ聞くとすぐ寝てしまうので、ちびちび時間を変更して明日の楽しみにしていた。
彼女の優しい声で言う、応援しているよ、と言うボイスを聞くとすごく元気をもらえた。

社築さんのおかげで、好きな物がたくさん増えた。
魅力的に面白く好きな物を語っている様子を見て、こんなオタクに、大人になりたいな、と思った。配信で言及している漫画を買ってみた。読んで、好きな漫画リストがいくつも増えた。横浜DeNAベイスターズの試合をTVで見るようになり、VS阪神戦を見にいきたくなって、甲子園まで行った。
巨人ファンの父とTVで野球を見る選択肢が増えて、会話も増えた。私、オタクで良いんだ!と思えるようになった。

自分の事を好きになることができた。
大きな、大きな、進歩だった。
Vtuberのおかげで、私はやっと普通の人と同じスタートラインに立てた。

学生時代、ほぼ同じクラスだった同じグループ友達の子が二人いる。その二人はノートを見せびらかした子とは別の子だ。ずっと学校を卒業してから定期的に遊びに誘ってくれていた。
その子にVtuberの事も話した、夢のことも話した、自分の事をやっと好きになれたこともはなした。
笑わないで聞いてくれた。
Vtuber好きになってよかったね、と言ってくれた。

私が壁を作っていただけだった。
その子達は私の事をずっと「親友」だと思ってくれていた。
高校を卒業してから十年、やっと、やっと、やっと、
「友達」だった子が「親友」になった。
全部、全部、彼、彼女達と出会えたおかげで、気づけた。言えた。成れたのだ。

自分に合ってない前の仕事をやめて、今の仕事を始めた。パートだが、結構充実していて、ここで働けてよかったな、とふんわり思っている。
そこで一緒に働いている仲の良い、とても信頼している上司に、甲子園に初めてDeNAと阪神の試合を見に行った次の日、言われた。

「貴方って陽キャだよね」と。

え?と思った。人生で、初めて、言われた。学生時代も前の職場で一度も言われた事のない、言われるはずがない事を私に向かって言われて、驚いた。

「1人で甲子園に試合見に行けるなんてすごいね、私はできないよ」

と言われた。
そうなのか?、と思った。他人から見たら今の私は陽キャに見えるような人間になっていた。

でも、不思議と嬉しくなかった。
陽キャと言われても、やった!とはならなかった。

学生時代、あんなに言われたくなかったあの言葉は、
推しVtuber達のおかげで、呪いから自信へと変貌していた。

その上司に、心の底から、自信を持って伝えた。
「私は陰キャですよ」と。


教室の隅で過ごした時間に意味をもたせてくれて、ありがとう。

卯月コウを推していて本当によかった、ありがとう。
これからも、貴方達を、推します。


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