書評「考えるとはどういうことか」

哲学的に考えることを学びたいと思い手に取ったこの本だが、はじめにの文章から心震えるものがあった。

以下抜粋↓
「考えることは、自分を縛りつける様々な制約から自らを解き放つことである。世の中のルール、常識や慣習、自分自身の思い込みからほんの少しであっても距離をとることができる。それが私たちの生に自由の余地を与える。私たちが考えるのは、考えなければならないのは、私たちにとってもっとも大切な自由を得るためである。」

自分がなんとな〜〜く思い浮かべていたことを明確に言語化された気がして感動しました。最近リベラルアーツが重要だ、なんて囁かれているのもこれが背景にありますよね。
歴史や哲学をはじめとした人文学を学べば、上記の「世の中のルール、常識や習慣、自分自身の思いこみ」と相対化するための新たな価値観や知識を自分の中に輸入することができ、局所的だった視野が広がることで選択肢の幅がグッと広がる。つまり、より自由になれる。

本書の「考える」ことによって自由になるというプロセスは、人文学を学び知識を輸入して自由になるプロセスとは似て非なるものでしょう。
むしろ人文学の知識という判断材料=思考を相対化するための道具だとすると、「考える」ことの上達というのはその道具を扱う主体自身の強化なのではないでしょうか。人文学の知識と考える技術、この両輪が駆動した時に人は完全に解き放たれるのかも知れない。。


ここから本題の哲学的に考えるということに触れていくが、4つのプロセスが存在する。ズバリ「問う→考える→語る→聞く」である。
中でも重要なのは問うのステージだ。この問いは自分自身に投げかけるもので、これが思考の質を大きく左右する。著者曰く、抽象的にしか考えられない人は問いが抽象的なのだそうだ。

(例)
非生産的な問い「なんであの人は面倒ごとを頼んでくるんだろう?」という問いでは、鬱陶しい、うざい、見下しやがって、と心の中でネガティブになるだけ
生産的な問い「この頼み事は本当に必要なこと?なぜ私は面倒だと感じている?あの人との付き合いって私にとって大事?」と問えば解決策に辿り着き、行動が変わるかもしれない。
ということだ。問いは思考を動かし、方向づける。だから考えるためには問わねばならず、重要なのは何をどのように問うかである。

ここからは問い方のHow toになる。考えることは技術であり、一定の方に当てはめることも有効らしい。
1・基本的な問い方
定義について問う。○○とは何か?
「友達ってなに?成功ってなに?大切ってなに?」

2・理由や根拠や目的を問う
〜〜ってなんのためにやるの?
「なんで働かないといけないの?なんでそれが好きなの?なぜそれを失敗だと思うの?」

3・具体的に考える
「問題があるって、例えば具体的に何?時間の無駄って具体的にどんな時間?」

4・反対の事例を問う
「人間は幸福を求めるというが、そうでない場合は何か?大切な友人はいるが、他人は大切ではないのか?」

5・関係を問う
「学歴と収入はどのように関係しているのか?自己肯定感と仕事での成功はどのように関係しているのか?」

6・違いを問う
「友人と知人の違いは何か?優しいと甘いの違いは何か?」

7・懐疑する
「大企業に入るのが良いと聞くが本当にそうなのか?年功序列は古いというが本当にそうなのか?」

8・時間軸で問う
「今はこの状況についてこう感じるけど、50年前ならどう思われるだろう?10年後に子供がいればどうなるだろう?」

9・空間軸で問う
「自分はこう思ったけど、A子さんの立場ならどう思うだろう?自分のやっている仕事は、社会全体で見た時にどんな意義があるのだろう?」

以上が問い方のHoe toだ。
次に印象に残ったいくつかの文章を要約したい。

1つ目に、大きすぎる問いは思考停止を招くということだ。「生きる意味ってなんだろう?」と考え出しても、中々中身のある議論には辿りつかない。
それよりも、「なぜ自分は生きる意味を問いたいのだろう?」と更に問いを深めることで思考の流れが自分ごと化される。
冒頭の自由の話と関連づけるなら、大き過ぎる問いを、考える技術によって自分に向き合えるサイズにまで切り分け、実生活に落とし込めるまでの自由を手に入れるのだ。

2つ目は、哲学の問いと哲学的に考えることは違うということだ。
美、認識、善悪、他者などの哲学の問題を考えるよりも、自分自身の問いを持つ方が重要とのこと。なぜなら、哲学の問題は現実の文脈から切り離され、個別のテーマに分かれているから。学問として専門的であるためには必要だが、個々人の生活に影響を与えることは確実ではないという。それよりも、自分自身が必要とする、モチベーションの湧く問いの方が現実のコンテクストに戻しやすく、その人の生活にとって大きな意味を持つ可能性が高いのだ。哲学を学ぼうとして哲学の問いを探究する必要はなく、自分の中で問いを産むことが、一般人に求められる哲学的思考なのかも知れない。

書き疲れてきたので終了。


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