「残念な絵」大量生産すること
一年近く前の、noteの古い下書きテキストを見つけた。
2023年の2月に書いたものだ。
“さっぱり絵が上手くならない。
時々全部丸ごと燃やしたくなってしまうことがある。
実際、“残念な絵”を描くことは必要なのだ。
でも私にはそんなに時間があるのだろうか。
最近は割り切っているが、いやになる。”
短い数行のメモだった。
どう肉付けをしようとしたのだろう?
noteの下書きというのは、案外読み返すと面白い。
単なる箇条書きだからほとんど公開されることはないのだが、なんだか重要なキーワードのような気がする。
京都に来てなんとなく腑に落ちるものがあって、この下書きを公開してみる。
「残念な絵」を大量生産しながら私は過ごすのだ、と腹を括るしかないのかな。
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