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京都 小さな旅と、小さな暮らし
1
思い立って叡山電鉄に乗り、貴船神社にある川床に行ってみた。
先月、京都在住の寺社めぐり好きな女性と知り合いになった。
彼女が「今日と明日はは休みだから」と、四条円山付近で特別拝観でも見ようではないかと待ち合わせ、四条大橋を歩いていたところ川床の話になった。
「鴨川の川床よりも貴船の方が気持ちいいですよ」とと彼女が言うので急遽目的地を変更し、京阪経由で出町柳から叡山電鉄に乗って北上した。まさに「行き当たりばっ旅」と言うやつだ。
電車の中で、みんな写真を撮っている。
私は岩手から来たから、山の中の景色は見慣れていて、珍しさを感じない。
このへんが面白いなと思った。
2
好天の貴船、それはそれは美しく、それはそれは涼やかで素敵な場所だった。
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混んではいたけれど、先月の祇園祭に比べたら全然どうってことない。
そばを食べるために1時間待ったりもしたが、スケッチをしていればそんな時間はあっという間に経ってしまう。
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街中の神社と違って、山の奥地にあるせいか、人はそれなりにいるものの「人を寄せ付けない雰囲気」をちゃんと有している。神の居所、と言うものはこうあらねばならない(と勝手に思いながら歩いた)。どの場所も静かで清浄な佇まいがある。
気温は高買ったが風があるせいか涼しく感じられる。
景色は美しく、音も気持ちよかった。
次回はスケッチをするつもりなので下見としては最高の1日となった。同行した彼女はとてもいい人で、歳が1回り以上も離れているけれど付き合いやすく心地よかった。多分、また来月も会うのだと思う。今日はありがとうございました。
帰りはやはり行き当たりばったりで、一乗寺で降り、下調べもしないまま適当なラーメン屋に入ったら、人気店だったようだ。
楽しさいっぱいで8時半ごろ帰宅。
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3
帰ったら部屋が雑然としている。
当たり前だ、1日いっぱい遊んで帰ってきたのだ。
京都、楽しいことばかりがあるから、自分の「暮らし」を忘れてしまうのではないか。
この、ほんのりとした懸念をメモしておかねばならない。
京都という街は自分にとっては異界なのだと思う。
毎日夢のような世界が広がっている。とてつもなく快適で、美しく、満ち溢れているように見える(実際満ち溢れているのだが)それは私のものではない。
これは「長い旅」であって永遠には続かない。
旅は旅でしかない。
楽しくはあるけれど、瞬間の美しさや楽しさに溺れてしまうのは少し危険だと思った。
歴史ある寺社を訪れることよって清浄な気持ちにはなる。
でも、時々それに取り込まれてしまいそうな気がする。前のめりにあちこち出かけると部屋が荒れてしまう。体も疲れてしまう。そして私は、絵描きだから消費するだけの旅をしてはいけない。普通の人はそれでもいいかもしれない。でも私はもっと絵を描かないといけない、そう思えば思うほど、暮らしは荒れる。
これではいけない。
いつでも会いに行くことはできる神仏がこの地域にはある。表象としての姿があまりにも強く、美しいから忘れてしまうのだが、実は、神仏は自分の外にはいない。自分の身近にある清浄さこそに神仏があるような気がする。だから私はあちこちでおみくじは引かない。
神の言葉を受け取るためには準備がいる。
暮らしに清浄さがなかったらあまり意味がないな、と言うわけで、今朝は丹念に掃除をし、ゴミを捨て、布団を干し、水場を整頓した。
そうだ、これでいいのだ。
この滞在は、暮らしと旅を行ったり来たりするものなのだ。
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小さくても自分の生活を忘れない。
今日は花でも買ってこようと思う。
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