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川島テキスタイルスクール組織実習(1)

先日「叡山電鉄に乗り、青春の旅に出た」と書いた。

9月24−28まで、市原の川島テキスタイルスクールでワークショップを受けてきた。その様子について感じたことを書いていく。




 私は学生の時、テキスタイル(染織)の専攻で、友禅染や臈纈染を学んだ。
最近50歳を過ぎて、学生時代に学んだことがいつの間にか血肉となって思考の行く末を方向づけているのだなということを感じる。

 今は主に水彩を描いているのだけれど、どんなに沢山描いたとしても私は心底工芸出身の人間なのだなと感じる。 

 染織はその名の通り染めたり織ったりの学科なのだけれど、当時は朝から晩まで染め織りに浸り続ける生活だった。布や糸には、多分おそらく絵を描くための画材よりもずっと惹かれる。
 自分がなぜ工芸を専攻したかというと
「出来上がりまでの “工程”が面倒で、かつスリリングである」という理由からであった。




 絵画は脳や(腕や目などの)肉体と直接的に繋がっていてかなりダイレクトな表現が可能だ。
「考えたもの」と「表現されるもの」が比較的直線的なのだと思う。

例えば一般的に
水彩は 
 鉛筆で下絵を描く→絵の具で下塗りをし、→適宜描き込む
ここにはもちろんさまざまなテクニックがある。
しかし、基本的には「紙」「絵の具」「筆」の中で完結することが多いのではないだろうか。無論ここでは「水彩画が簡単である」ということを言うのではないので注意してほしい。



 同じ絵を描く、という場合でも「布に絵を描く」際は少し複雑な工程を経なくてはならない。
 支持体が布なので紙のように顔料を上に載せること難しい。着物の場合は顔料ではなく染料を用い、繊維そのものを染め上げる必要がある。

 例えば着物の場合では

全体のイメージや図案を決める→配色計画を決める→ 技法を踏まえた試作をする→原寸の紙に下絵を描く→ 布にトレースする→ 布を張る→ 技法を配するための下処理や糊や蝋などで防染をする(染まるところと染まらないところを作る→ 染め(色さし)と防染を繰り返す→引き染め(背景)→ 防染部分を取る(有機溶剤などを使うので業者に外注することが多い。)→ 蒸す→ 仕上げ加工や表面装飾などをする→ 仕立て(これも外注)

 という工程を踏む。

卒業制作その1


 学生時代のこれら作業は私の性格を変えたように思う。
 染めは基本的にはやり直しが効かない。(誤魔化す方法はあるが、白生地に染まってしまったら白には戻らない。白を生かしたい場所で染料の雫をうっかり落としてしまったら一巻の終わり。)

 染めは計画性と試作が作品を決めるので、自分はかなり慎重な性格になったように思う。

卒業制作その2

 業者に発注して帰ってくるまで「完成が見えない」のがめちゃくちゃ怖い。学生であったから伝統工芸みたいには到底いかないので基本的にはヘタクソである。でも染め上がった時の達成感はひとしおであった。ヘタクソであっても「挑戦して良かった」という思いがある。
 緊張の中に慎重さと大胆さを要求されるは工程には、吐き気とワクワクが混然としていた。怖いような痺れるような快感は、今思えば「ギャンブルにハマる」人に近い感覚であったのだろう。今でも「制作によってすり減る感じ」というのはヤバいクスリに匹敵するのではないかと思う。


 学生の時には「織り」もやった。
こちらは先染の技法で、先に糸を染めて機にかける。

「ノッティング」、「つづれ」「ホームスパン」などさまざまだが、染めと織りを両方学べたのは本当に良かったと思っている。
本職の染織作家ではないけれど、私は今もずっと染織とともに生きている。一つでも多く、自分で作ったものを纏って生きていきたい。
これが死ぬまでの大切な願いである。


初めて織った手紡ぎショール




 しかし時を経て、大人になり、自分の生活も変わった。

 基本的には今も制作ジャンキーだと思いたいのだけれども、今は配偶者がいる。家事がある、仕事もある、SNSもある、世界には面白いことに溢れている。

 制作時間が足りない。全然足りない。
 時々、「朝から晩までどっぷりと制作に浸かっていたあの頃」を味わいたいと強く思うことがある。
 食事と排泄以外は作ることしか考えない。そんな時間を持つことは不可能ではないだろうけれど、実際はなかなかに難しい。

手紡ぎでいちからカーディガンを作った。アランのカーディガンは編み図を自分で描いた。ベストも自分で編んだがこれは風工房さんデザインによるもの。


4
 そこで5日間の実習を通して、若かりし頃のジャンキー生活を再現しようと思い立った私なのであるが、今回は染めではなく織りである。
ちなみに、私にとって「織り」というのは「染め」以上に「ままならない」。何せ織り機の中でじっとしていられない。(苦笑)

 しかし「ままならないことを味わう」ことには価値があるのだ。

 ままならない時にこそ脳がキマる。最近それが体感的にわかってきたのでいろんな創作をしている。できないことの山を乗り越える感じが一番気持ちが良いのだとわかっているので時間を取るのが良い。

 上手くできないことに直面してどっぷりハマる時間が持てることは(人によっては苦行なのだろうけれど私は)割と楽しい。そしてかなり贅沢な時間だと言える。

これからこの5日間を振り返るための記事を少し書いてみたい。


(続く)

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