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怒涛の描き納め

 11月から日本園芸協会の「ボタニカルアーティストの会」に入ってみた。会に入ると会報誌が主催する誌上コンクールに出せるとのことで、私も出してみることにした。初めてのチャレンジだ。年末はずっと花の絵を描いていた。

 花の絵を描けるようになりたいと思ったのは学生の頃だった。
子供の頃、秋田の小さな町の小さな住宅に住んでいた。そこにはほんの小さな庭があった。幼少の頃だからだいぶ記憶が怪しいけれど、隣に住むご婦人がその小さなお庭に見事なバラを育てていらした。ぼんやりと「大人になったらお花を咲かせる人になろう」と思った記憶がある。

 染織を学んでいた頃は友禅染の原図を描くために大学の植物園で草花を描いた。季節を通して変化する花の様子は大変愛おしく感じたものだ。
「植物画」というジャンルを知ったのもこの頃だったと思う。船に乗って珍しい植物を採集していた時代から続く植物の絵は独特な美しさを持つ。観察の目を通して見たものとして分類され、解釈されている花の姿は、自然の植物を描いていながら自然とはかけ離れている雰囲気があって面白いと感じた。


 その頃、ある方から澁澤龍彦の「フローラ逍遥」を頂戴した。
 それはそれは美しい本で、東西の見事な花の図譜についてのエッセイが流麗なタッチで描かれる。以来、澁澤龍彦は当時の私の憧れの人となった(1)。今は文庫になって出ているので機会があったら手にとって欲しい。


 わたしはこうして植物画に惹かれた。
 だが学べる場所はなく、何冊か技法書をみながら自己流で描いていた。たまたま10年くらい前に通信講座があることを知って受講し、おかげで花の絵を描く楽しみが増えた。


 でも本格的な「ボタニカルアート」となると「図鑑のような描き方」をしなくてはならない。
 細密描写が主体となるので正直なところ描くのはちょっと苦しい。そして今は描きたいものが他にもある(風景スケッチとか)。普段の私の画風とは全く違うものなので、時間もかかり、びっくりするほど進まない。笑ちゃうほど進まない。サイエンスイラストレーターの人たちはどうやって描いているのだろう…と尊敬する。でも自分の「できなさ」を嘆いてもしょうがない。

「いつかすてきな花の絵を描いてみたい」と言う思いは常にあるが、「植物画」と言うジャンルが自分に合っているのかはわからない。
 でもこうして勉強できることは大変貴重な経験だし、色々な描法を学ぶこと自体は他の表現にも活かせるものと信じている。うまいこと行かなかったとしてもチャレンジはした方がいい。

 結局年末「12月31日消印有効」に滑り込ませるために延々加筆をして過ごした。

掃除も何も全く追いついていなかったが、悪くない年末だった。




(1)澁澤龍彦にハマって、当時出ている河出書房の文庫を全部買って読んだ。学生時代に「大好きだった男の人」をあげるとしたら、タツヒコを挙げたい。ほんとに好きだった。愛してるタツヒコ、と言って憚らない女子だったと思う。
 亡くなったあと全集が出たあたり何十万かしたと思うけど買っちゃおうかと本気で思っていた。でも年齢を重ねるうちに、(最初の妻)矢川澄子にした数々のひどい話について知った時にかなりドン引きしてしまった…よくよく考えたら結婚相手としてはダメな男だったんじゃないか、タツヒコ・・・と今は思う。
でも文章はかっこいい。
文章がかっこいい男に弱かったのだな、と思う。(結婚詐欺にひっかるタイプ。)
でも年齢を経て眺めると生理的にもうダメ…と感じてしまうところも多い。

 SNS時代の今となっては原書でいろいろな情報を取れる人がいっぱいいるから、翻訳もする文学者だった澁澤の評価はだいぶ変わってしまったのかもしれないな…(遠い目)

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