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『チェリまほTHE MOVIE』は"私"に向けられた話だった。

思えば、もう長いこと

「好きな人と結婚して、子供を産んで、
その人と死ぬまで寄り添うことこそが幸せ」

という"呪縛"のようなものに

ずっと囚われて生きてきた気がする。


『チェリまほTHE MOVIE』は、
そんな社会が敷いた「幸せのレール」からはみだしてしまったと思っていたシングルマザーの私が
一番聞きたかった言葉をかけて優しく抱きしめてくれたし
同時に、強く背中を押してくれるような作品だった。


まず、劇場に足を運ぶ前は「何食べ」のような
2人の日常や些細ないざこざが繰り広げられるのかなとぼんやり思っていた。
どんな内容であれ、チェリまほ製作陣の描いたものを私なりに受け止めたいと思っていたから、特に何かを強く期待していたわけではなかった。


ただ、BL作品に期待されがちな"セクシャルな描写"を撮りたいわけではないのだろうなというのは感じていた。
ドラマラストのエレベーターシーンからもそれは極力見せないのだろうと思っていたし、それは映画においても、ある意味期待通りだった。

理由はシンプルで、チェリまほにおいて見せたいのが2人のラブシーンではない、もっと他にあるからと感じていたから。
他に強く伝えたいものがあるのだと思っていた。

ラブシーンは視覚的にもとてもインパクトがあるから、直接的に見せるとどうしてもそこに印象が集中してしまう。
他に伝えたいメッセージがブレないようにしたいのだろうなと感じた。
でも、映画版で繰り広げられたものがこれほど壮大なものだとは思っていなかった。


映画は、安達の転勤あたりまではドラマの延長のような雰囲気で、2人の幸せで穏やかな日常が描かれる。

「あすなろ白書」や野島伸司の「人間・失格」などで同性愛者に対して不遇な作品を目にしてきた自分としては、この何気ない日常描写だけでも涙腺が緩んだ。

このまま美しく、優しい世界で生きていてくれ…

そう切に願った。


そして、安達が長崎で倒れた後、長崎の病院に駆けつけた黒沢。

もうこのシーンは"水も滴るいい男"なんて形容詞では言葉が足りないくらい、黒沢の美しさにハッと息を呑んだ。


そこから安達の部屋のシーン。

ここの町田くんのお芝居のギアの入れ方が凄かった。

「安達が転勤のことを相談してくれなくて、悲しかった…会えなくなって、寂しかった…」

黒沢がそれまで抑えていた感情とともに、一気に溢れ出す涙。

これぞ町田啓太!という圧巻の演技に
全私がスタンディングオベーションした。


そして安達の、
「どうしたら、この愛おしさを伝えられるだろう」

そのあとのキスシーンまでの流れがとにかく美しい!

前述したように、チェリまほは極力セクシャルな表現を抑えようとしているように思えて、
このキスシーンも性的なものを意図するものというより、母親が子供にキスをするような無性の愛としての愛情表現として映った。

黒沢に触れることに慎重になっていた安達が
自ら黒沢の手に触れ
それを受け入れる黒沢

絡まり合う指…

この描写が全てだと思った。

こんなにも優しくて美しいキスシーンの見せ方を私は知らない…ブラボー!!!


正直、映画ではこの長崎転勤のくだりあたりまで描いて終わるかと思っていた。
この後、両親の挨拶まで話が進み「おおお!そこまで見せていただけるの!?」とスーパービックリした。


印象的だったのは、

「反対されたら親に縁を切られても、仕方ないと思っている」

と言う黒沢に対して

「1人で傷つこうとするなよ。
もし受け入れてもらえなくても、
その時はまた、自分達が納得いく生き方を探せばいい。」

という安達のシーン。

これまで黒沢は安達を大切に思うあまり、安達を守ろうとしてきた。

「1人で傷つこうとするなよ。」は、
そんな黒沢の手を、安達がグッと引き寄せた瞬間だった。

「もし受け入れてもらえなかったら」という
黒沢に対する安達の返した言葉にも唸った。

「認めてもらえるまで俺も頑張るよ」
のような、根性論に頼るものではなかったから。
安達はただ盲目に恋に突き走っているわけではないんだなと感じた。

「自分たちが置かれた状況と戦うのではなく、
与えられた状況のなかで幸せになる方法を探そうよ。」
というように私には聞こえた。

とてもつつましく、受け身のようでいても黒沢への想いの強さを幾重にも感じさせる台詞だった。

安達は2人が置かれた状況をとても冷静に見ていると感じたし、物凄い包容力を感じた。

と同時にこのシーンが、安達が黒沢を介抱し、黒沢の心に触れたあの公園というのも秀逸だった。


そして、お互いの家族に紹介するシーン。

私は安達家、黒沢家が出てくるところまで話が進むと思っておらず、かなりビックリした。


安達の両親が遠山俊也さん・榊原郁恵さん、
黒沢の両親が鶴見辰吾さん、松下由樹さん

というのは解釈一致のキャスティングだったし、
豪華すぎて正直日和るくらい素晴らしかった。

そして私は、安達家のシーンから涙が止まらなかった。

安達母
「あなたが選んだひとなんだから
 いいに決まってるじゃない」

安達父 
「人生は選択の連続だ
 意志を持った選択は尊い」

黒沢父
「幸せな人が増える、
 こんなに素晴らしいことはない。
 君たちの人生は君たちのものだ」


これらの言葉に、

2人が祝福される姿に、

涙がとめどなく溢れてきた。



反対されて、

ほとんど絶縁になりかけてまで押し切った、

かつての自分の結婚と重なった。



あのとき私は、こう言ってもらいたかったんだ。

自分が選んだ人、自分が取った選択について。


安達と黒沢に向けられた言葉が、

あの日の自分を包み込んでくれた気がした。


そして、2人の結婚式。

白いタキシードで
バージンロードを腕を組み
並んで歩く2人の姿。

まさかこれが現世で実際に見られるとは思わなくて震えた。

チェリまほドラマのエンディングで
グラユラをBGMに2人が夜景を背景に歩くシーン。
これはお台場の夢の大橋がロケ地だが、
この橋の先にはチャペルがある。

グラユラのエンディングで
2人が歩いて行く先にあるのが
このチャペルだといいな、とずっと思っていた。

いつか、2人が白いタキシードで

腕を組んで歩く日のことを夢に見ながら、

聖地を通りがかるたびにそのチャペルを眺めていた。


その思い入れも相まって、
この結婚式のシーンが見られたことは夢のようだった。

夢じゃないもん!ホントだもん!!!
と叫びたかった。

そんな夢見心地な気分からのラストシーン。

絵本を閉じ、黒沢と手を繋いで歩き始める安達。


男女のカップルやモブ達が溢れる"社会"のなかに歩んでいく2人の表情は、幸せを感じさせつつも、どこか険しさを漂わせている。

ドラマで、坂道を2人で手を繋いで歩くシーンとは
雰囲気が全く違っていた。


"おとぎ話"の中にいた2人が、現実という世界を歩き始めた。

その先にあるものは、ただ美しく優しいものだけではないだろう。

そこに向かう決意を感じた。


固く手を繋いで歩いていく2人の姿を見て、つかこうへいさんの戯曲である『熱海殺人事件』のある台詞が脳内をよぎった。


ー 

愛とは、安らぎのことではありません
何者にも負けぬ 強い志のことです

恋とは、優しさのことではありません
共に天を抱かんとする 強い意志のことです

そして幸せとは

その手で勝ち取るものなのです      



安達と黒沢の背中はたくましく、強かった。

私は、そんな2人が見せてくれた美しい世界が、

彼らが歩んで行く道の先に続くように

2人の幸せをただ『祈る』だけじゃない、

行動しなければならないと感じた。





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