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わたしと川崎フロンターレの出会い
はじめまして。にょきです。
いつぞやに登録だけしたnote。
自分自身が何かを書くつもりは全くなかったのですが、わたくしブログの類が大好きです。
こっそりひっそり気が向いたら書いてみようかと思います。
【自己紹介】
東京生まれ東京育ちの川崎フロンターレサポーター兼、人事系の仕事をしている会社員です。2008年からフロンターレを応援していますが、途中中断期間もあったり。
ダミアン選手、山村選手、吉田コーチと同じ年齢。
(吉田コーチがプロ1年目の時、同じ年齢のプロサッカー選手が出てきたんだ…!ととても嬉しかったなぁ。)
好きな選手は「みんなかっこよくて選べません。」
ちなみにこの言葉、過去にフロンターレに在籍していた川島永嗣選手のプロフィール
Q・好きな女性のタイプ
A ・みんな可愛くて選べません が大好きすぎて真似っこ。
本気でみんなかっこよくて選べないのですが、フロンターレで一番最初に好きになった選手は森勇介選手です。
彼のサイドを駆け上がる姿が本当に大好きでした。アツくなりすぎてついカード集めをしてしまうところはダメなんだけれど、彼らしくてそういうところひっくるめて応援したい!って思える選手でした。
【全ての始まりは川口能活選手】
スポーツには縁がない家庭で育ったため、サッカーはわたしとっては縁遠いものでした。
そんな中たまたまテレビがついていて見た2004年のアジア杯 日本×ヨルダンの試合。(ちょっと記憶曖昧、合ってるかなぁ?!)
あの時の川口能活選手のPKでの姿にわたしはまんまと魅了されてしまいました。
『こんなにカッコいい人が存在するんだ…‼︎』
※ちなみに顔も非常に好み。
ただ当時、中学生だったわたしにとっては「テレビを通して見た縁遠い世界」でしかありませんでした。
【北京世代が大好きだ】
中学に引き続き高校では吹奏楽部に入ろうと思っていましたが、どういわけかソフトボール部に入部。そう、青春感じる高校デビューがしたかったのです。
部活をきっかけにスポーツが少し身近なものとなったため、2006年のワールドカップは並みに話題についていける程度には見ていました。
ジーコ監督の「ヤナギサーワ…ムァキ」の代表メンバー発表にはクラス中がザワザワしていた記憶があります。
その頃からサッカーを生観戦してみたいという願望を持ち始めました。
【運命の出会い】
2007年わたしが高校生の頃、ネット上では前略プロフというものが流行っていました。
※前略プロフを知らない方はググってください(笑)
前略プロフを通して、北京世代好きの女の子Rちゃんに出会いました。
当時、北京世代にハマりつつもサッカー仲間がいなかったわたしにとってはありがたい出会い。Rちゃんは北京世代の中でも当時ガンバ大阪に在籍していた家長昭博選手が好きでした。
そんなRちゃんは神奈川県民でフロンターレも好き。
Rちゃんに誘われて麻生グラウンドにフロンターレの練習を見に行ったのが、わたしと川崎フロンターレとの出会いでした。
麻生グラウンドに初めて行った日、谷口博之選手の誕生日でわたしは何がなんだかよく分からずにRちゃんが用意していたプレゼントを一緒に渡しました。
サッカー選手ってこんな近い距離で話すことができるのか、と驚くとともに、そこから川崎フロンターレは気になるチームになりました。
この年のわたしは北京世代の五輪最終予選試合はほとんど観に行っていました。
中でも増田誓志選手が好きだったので、実は鹿島アントラーズの試合も何度か観に行っています。
母もともにサッカーにハマってくれて母が好きだった李忠成選手が当時在籍していた柏レイソルの試合を見に行ったり、チーム関係なく、関東圏のJリーグチームの試合を観に行っていました。もちろんフロンターレの試合も。
ちなみにRちゃん、ガンバ大阪も好きだったため、等々力のアウェイ側から川崎×G大阪の試合を一緒に観たこともあります。
おそらく鄭大世選手のハットトリックでフロンターレが大勝した試合です。なんとも複雑な気持ち…。
余談になりますが、Rちゃんとの関わりは本当に短く、1年なかったと思います。家長選手、今はフロンターレにいること知っているのかな…。
【運命の出会い②】
川崎フロンターレがちょっと気になるチームになったものの、上述のようにRちゃんとの関わりは薄かったため、フロンターレの試合において一緒に行ける友達が居ませんでした。
そこでわたしは当時流行り始めたSNS、mixiを駆使して、同じくフロンターレが気になるものの一緒に試合に行ける友達がいないというJちゃんに出会いました。
わたしの小学生時代からの親友Nが浦和レッズが好きだったということもあって、Nを等々力に誘い、Jちゃんと初対面を果たしたのです。(今思うと、レッズ好きでよくNは等々力に来てくれたなぁ)
当時はまだ鹿島アントラーズが好きだったので、2007年は鹿島のJリーグ優勝に喜んでいましたが、これからはフロンターレを応援していきたいという気持ちを持ち始めました。
翌年、2008年。
親友NとJちゃんとJちゃんの友人であるSちゃんと4人で等々力に行きました。
川崎フロンターレ×柏レイソル。
今でもあの時の谷口博之選手のゴールは忘れられません。
その後から自然と4人でフロンターレの試合に行くのが日常となりました。(気付いたらNもレッズ好きからフロサポになっていた。)
▲多分2008年?ゲキサカさんに取材される我々。コメントがひどい。
わたしがここまでフロンターレに熱をあげるようになったのは、確実に一緒に試合を観に行ける友達ができたことが大きいです。
フロンターレの試合抜きにしても彼女たちに会っている時間は、昔も今もわたしにとっては最高に楽しい時間。
Jちゃんがフランス留学に旅立つ時には、壮行会を開き、みんなで川崎市民のうたを歌ったりと、奇妙な催しを開催していました。
…ただ驚くべきことにわたし達の中に川崎市民はいません。
【中断期間を経ての今】
2010年〜2011年は社会人になったことと、この頃別の趣味が出来たことで等々力に行く回数は少し減りました。
そして2012年〜2014年頃に原因不明の体調不良に悩まされ、仕事もまともにできなかったり、友達と会うこともほとんど出来ず、未来への不安ばかりでどうしたらいいのかモヤモヤした日々を送っていました。
少しずつ健康を取り戻し、3年ぶりに等々力に行けた時は心から嬉しくて、やっぱりフロンターレが大好きだと感じました。
あまりにも感動したので、フロンターレのHPから支離滅裂なメッセージを送ったくらい(笑)
ここ4〜5年くらいでフロンターレへの興味関心を取り戻し、近年は旅行がてらアウェイへ行くことも増えました。
▲どこでもFポーズしやがる。松本良かったなあ!
体調を崩してなかなか外に出れなかった経験があるので、健康に現地でサッカー観戦出来ることがいかに幸せなことか、ものすごく感じています。
そして今現在…。
誰も体験をしたことのないような世の中になっています。
心の支えであるJリーグも延期が続いています。
もちろん早くサッカー観たい気持ちは山々ですし、きっと全Jサポが同じ気持ちを持っているでしょう。
でもそのためにはまずは健康でいることが何よりも大切なのではないでしょうか。
各チーム各選手がいろんな取り組みをしてくれているのを目にします。
Jリーグに関わる様々な人たちが奔走しています。
本当にありがたい気持ちでいっぱいです。
大好きなJリーグ・川崎フロンターレの試合が週末にある日常が少しでも早く戻ることを願っています。
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