平成ドラマティック
人は10代後半に聴いた音楽が
大人になっても沁みる
という定説をきいたりするけど、
これはどの世代も同じなのか
それとも時代、景気、環境による変化なのか
人がみな平等に歳を取り続ける以上、
相対的に判断できないなという
ここ数年気になっているテーマでした。
私自身、レコード会社にて勤務する人間として
そんな「ヒット曲とは」の定義と対峙せざるを
得ない日常に疲れてしまい
自発的に音楽が聴けなくなってしまった、2023年。
心の休息のために宮古島に一週間ほど
いきまして、その時に気づいたことを
今更ながら記そうかとおもいます。
宮古島に滞在している間、
都会との違いを感じる場面がいくつかあって
街並、人、自然、動物、何もかもが宮古島。
それはわざわざ説明せずとも容易に想像できるものだと思いますが、
予想できなかった点として私が一つ驚いたことは
お店で流れる曲に"とある"特徴があったこと。
それは、東京のUSENは基本リアルタイムのヒットチャートが流れているのに対し、
宮古島ではほとんどが2000〜2010年代の
平成の音楽が流れていた。
つまりは、トレンドが10年遅れということ…。
その中でも最新というと、
星野源の恋や、SuchmosのSTAYTUNE、
ゲスの極み乙女。の私以外私じゃないの
など、それでもちょっと懐かしいくらいの
ちょうどサブスクが日本に上陸してきた頃の曲。
日々街で鳴っている音楽についつい耳を傾けては勝手にストレスを感じでしまう自分にとって、それはとても心地の良いものでした。
そう思うのは、まだ苦悩を知らない10代後半から20代前半の当時のリアルな感覚に戻る、懐古心ゆえかと思いきや、
とある曲が流れたときに
ノスタルジーとはまたちょっと異なる衝撃を受けたんです。
その曲とは、中島美嘉の「STARS」でした。
2001年にリリースされた彼女のデビューシングルであり、ドラマ「傷だらけのラブソング」の主題歌として、中島美嘉本人も出演していた、今となってはありそうでない、平成らしいデビュー演出の曲。
私自身、中島美嘉に特別な思い入れがあるわけではないのだけれども、学生時代よく聴いていた好きなアーティストの一人で
彼女の歌ほど、強さと儚さが共存していて、
広大な夜空、満天の星、四季折々のダイナミックな情景が浮かんでくる歌手は今でもいないと思う。
だから、彼女の歌を聴くと、
今でも故郷札幌の雪景色と空を思い出します。
それは当時抱いていたこの曲へのイメージで
改めて受けた"衝撃"というのは、
皮肉にも音楽の知識を僅かながらにも
身につけてしまった状態で
令和の時代で聴いたこの曲は、
メロディー、アレンジ、歌詞、すべてにおいてなんてドラマティックなんだ…!
と居酒屋で静かにオリオンビールのジョッキを置いた。
それはそうと、この曲は
作詞・秋元康
作曲・川口大輔
編曲・富田ラボ
こちらのお三方がタッグを組んでつくられた曲。
(この後にリリースされるこれまた名曲「WILL」も同じ作家陣)
6分を超える大曲で、ブリッジの展開を含めると一つの映画を見たかのような壮大さ。
特に、富田ラボさんのアレンジは鬼気迫るダイナミックさ、綿密に組まれたストリングスアレンジ、美しいコードワークと、それを支えるベースラインがなんとも素晴らしく。。
富田ラボさんのアレンジといえば、
MISIA「Everything」が一番の代表曲として浮かぶが、
もしも、当時のA&Rが「Everything」みたいな壮大なオーケストラアレンジでお願いします!と依頼をしていたとしても(あくまで仮に)、
そんな安直な作り方をせずに
中島美嘉、彼女だけの魅力を引き出す自信があったと言わんばかりのアレンジ。
アレンジだけじゃなくて、「こういうコード進行なら、こういう歌詞を乗せて、こういうこみ上げた歌唱をすれば人は感動するだろう」みたいな、軽い甘えを1つも感じないからすごい。
ビールジョッキを置いた6分間、
そんなことを思いながら私は感動しっぱなしだった。
いまとなってはミリオンヒットとして名をあげた曲だとしても、これを私が今の年齢のままタイムスリップして聴いたらどんな感情になるだろう?
と恐ろしいことも考えたりした。
(そもそも音楽制作にかけられる予算が今とは違うという大前提ももちろん…。)
そしてその夜から、
宮古島の宿の前にあった満点の星空が見える畑道で「STARS」と「WILL」を毎晩交互に聴いていた。むしろこの時この曲たちしか聴けなかった。
きっと東京では感じられなかったし
今もその時の景色を思い出して救われたりする。
ここからは、主観でちょっと恥ずかしい話に
なるけれども、
私自身、
細かな設定やピンポイントな感情を表す曲よりも
誰もが知っている言葉だけど、人によって解釈が違って想像力を掻き立たせてくれるマクロめな曲が好きで、
昔から、音楽を聴いている時にいろんなことを妄想をするのが好きだったことを思い出した。
(大半の人がラブソングに共感を求めて聴いているだろうという中、こんな恋愛したいな〜って思いながら、aikoの「えりあし」聴いてた拗らせドM)
令和、平成というカテゴライズだけで全てを判断するのはナンセンスかもしれないけど、
なんとなくの憶測として、今の世の中はスマホ一つで答えが導きやすいからなのか、抽象的なものよりも具体的なものに人の興味関心がいきやすくそして辿りつきやすく、
だから具体的にペルソナが見える曲の方がティーンに好まれるのかもしれない。
(もちろん、例外もあると思う。藤井風とかね、
また別で話したいくらい素晴らしいアーティスト)
きっと、私たちが学生だった頃は少なくとも自分の友人とネットで繋がることはできても、厳しいSNSの大海原に急に放り出されて炎上的なことが起きることはなかったし
人が何しててもある意味自由で関心のない世の中だったから、どんな妄想をしていても咎められなかったのかもしれない。
ノートや日記の中の世界で美しいままその空気を保存できていたな。
これを私は心の中で勝手に
「ドラマティック平成」と名付けている。
もう一度「STARS」の話に戻るけれども、
この曲は
やっぱりあの星は
見つからなかったと
夜空に背を向けた
願いに疲れた自分がいたよ
と始まるのだよね。
けど最後の歌詞では、星のありかは
最終的に科学的な空ではないっていうところに
この曲のドラマティックさを感じていたし、
他の曲もそうだけど、中島美嘉の曲に出てくる「愛」の解釈が私は好きだったりした。
いわゆる業界の中にいる職かもしれないけど
私はこんなに主観に想いを巡らせるような
いつまでも地方都市出身の一般OLですし
何が言いたいかっていうと
音楽業界に従事するものとして
売れる、売れないに振り回されるよりも
この一般ピーポーな自分が思う、
人の心が動くかどうかを大事にしてゆこうということを忘れたくないなと
思ったから、今日ここにわざわざ厚かましいことを記させていただきました。
どんな世の中だとしても、
自分が生きてきた時代を尊く思いたいしね。
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