怖さの価値
ほんの一年ほど前までは
「楽しいことだけやっているうちに全てうまく進みますように....」
と本気で思っていたのだけど、昨年後半から、楽しいとは掛け離れた怖いことばかりやるはめになっている。
今夜も知らない人ばかり、日本人は私一人きりであろうパーティに行って、ソーシャライジング/ネットワーキング/営業活動をしなくてもいけない。
なにを隠そう、私はそういったことがこの世でなにより苦手で嫌いなのだ。
望みが叶うのであれば、毎日毎日、自宅のデスクに座って何か書いたり、本を読んだり、ネットサーフィンをしたり、海外ドラマを観て一日を終えたい。
しかし、そう願う一方で、自分が苦手で恐ろしく感じることばかりやらざるをえなくなったここ半年ほどで、自分を取り巻く世界が少しずつ変わってきていることも認めざるをえなく、だから、胃がキリキリしてもやり続けている。
そしてつい先日、気がついたのだけど、怖いことをあえてするということは、のちのち一番の価値になり得るのだ。
考えてみれば当たり前なのだけど、よほどの才能でもない限り、誰でもできるような快適なことばかりしていては、特別な価値は生まれない。
ビジネスも情報も、大勢の人がなかなかできないことをやった方が、価値が高まるわけで
そうは言っても、死ぬほど辛いことをやる必要もなくて、人によって、得意分野があるのだから、その中でコンフォートゾーンから離れたことをする。
これは心理的にも大きくて
「これだけ怖いことやってるんだから、ものすごく成長しているにちがいない」
という自己満足/自尊心アップにもつながるし
「これだけの思いをして得た経験や情報なんだから、他の人の役にも立つにちがいない」
と自分の仕事に対する自信にもなる。
実際に話をしてみても、頭でっかちの理論ばかりの人よりも、実際に行動して、失敗も成功も経験している人の言葉の方がはるかに重みがあるわけで
だから怖いことをするのはまったくもって嫌なのだけど、それが後で自分の強みや財産になってくれると思って、ありがたく経験したいと思う。
そして今週末は、何も頑張ることなく、ひたすらダラダラと過ごしたい。
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