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一掃

「宗教」というコンセプトはどうも解せない。自分の人生は自分で決めるものだ。それを、他人が作った「これが正しい生き方です」みたいなルールを鵜呑みにするのはどうかと思われる。

「しきたり」もそう。最初にできた時は理屈にかなっていたのだろうが、それを正当化するのに躍起になり本来の意味がわからなくなってしまっていることが多い。時代は激しく変化しているのだし、何百年も前のならわしを現代の生活に押しつけたら無理が生じるのは当然だ。人にモノを買わせる口実として利用されるだけ。

春の訪れにより身体が安心してガードが下がるのか、この季節になると妙にホコリに敏感になる。目がかゆくなり鼻も垂れてきた。頭もボーっとする。そこで宗教的なことはさておき、ユダヤ教の慣例、PASSOVERにならって家の大掃除をすることにした。1年に1回蓄積されたモノを整理し、何日もかけて部屋のすみずみまできれいにするのはとてもいい習慣だと思う。ユダヤ版こんまりメソッド といったところか。

自分と向き合い、なにが大切かをしっかり見据え、余計なモノは容赦なく捨てないと。放っておくとゴミはたまるからね(脳ミソの中もそう)。ただ 始めるとキリがない。「片付ける」というが、人生が片付くなんてことあるのかな。すべてはプロセスだと思うけど(実は掃除しだして今日で10日目。ケツまくりそうなところをなんとか堪えようとしている)。この調子だとあと1週間はかかる。来週の日曜はイースターか、どの宗教も祝う頃合いは一緒だな。

取っておくか捨てるか、取っておくならどこにしまうか の判断にはかなりの精神力を使う。すべて箱に入れてたんすの奥に隠してしまいたい衝動にかられていると、語学アプリDUOLINGOからフランス語を勉強しろ と催促のメールが来る。365日連続記録がかかっているのだと。ウィルス騒ぎが始まり、ロックダウン中にフランス語でも勉強するかと思い立ってから1年。話せるかどうかはともかく、よく続いたもんだ。

家中のホコリが掃除機により吸い取られていくうちに鼻のズルズルが収まってきた。今日はこれくらいにして、1本巻いてマインドをきれいにしようと思う。

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