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1年が経ちました

2022年の3月にお腹の子を天に送ってから、1年が経ちました。

もう毎日流産のことを考えたりはしませんが、3月4日が近づいてくると、やはりあの時のことを思い出してナーバスになってきます。

一方、夫は普段と変わらない様子で、もう忘れてしまったのかなとさえ思えてきて、ナーバスな上にさらに不安な気持ちが押し寄せてきました。

聞けばいいのに、変に頑固になって、夫が切り出すのを待つことにしました。

しかし、3月4日が近づくにつれて我慢できなくなり、結局聞きました(苦笑)

「ねぇ、もうすぐ1年だって知ってた?」

夫は知っていました。少し(いやかなり)安堵しました。

3月4日当日は土曜日。私たちは特別なことはせず、静かに過ごしました。もちの「埋葬」をした森林保護区に行こうかなとも思いましたが、そこで埋めたのは胎芽でもなく、そこにもちがいるわけでもないので、行きませんでした。行くと辛くなるのが怖かったという気持ちもあったと思います。

もちのことは、頭の片隅にいつもありつつ、常に常に考えているわけでもなく、わたしって冷たい母親なのかなぁ...と思ったりもします。もしかしたら、健康に気持ちが回復しているのかもしれません。

そんな月末、YouTubeに上がってきた動画

私もいつか育児ができるのかしら…と思って見始めましたが、この動画の作者のおはぎさんは、3年の不妊治療を経て男の子を出産されました。

そのことを知って、妊活日記の再生リストから一気に見てしまいました。

おはぎさんの2回の稽留流産、タイミング、治療、体外受精と、全てが自分と同じ経験ではありませんが、流産の時の出血や、リセットが来るときの失望感、終わりの見えない苦しさなど、1年前を思い出して何度も泣いてしまいました。

動画を見てボロボロ泣いている私を見て、夫が心配してくれましたが、夫は日本語が読めないので一緒に見ることができず、説明するのもおっくうで、あまり伝わっていないと思います(笑)

しかし数日前、動画で「エコー画像はいつか消える」と見て、もちのエコー画像も消えてしまったのではないかと焦り、慌ててエコー画像を探しました。画像は、夫が持っていた日誌に貼っていたのですが、1年経ってそれも忘れていました(汗)

1年ぶりにもちのエコー画像を見て、もともと緩んでいた涙腺が崩壊し、ぶわっと涙があふれてしまいました。

おそらくエコー画像を見て、夫も声を震わせていました。夫はただ私を抱きしめてくれましたが、私一人で思い出すのは勝手だけれど、夫にも思い出させてしまったのは申し訳ないなと思いました。

しばらくして、夫が一つの郵便物を持ってきました。2週間くらい前に届いていた小さな郵便物で、ちょっと気になっていました。

「遅くなっちゃったけど」と取り出したのは、「1」の数字のペンダントヘッドでした。

「1歳の誕生日だから」


去年の母の日にくれたブレスレットと一緒に

その日の夜、夫はボソッと

「もちが行ってしまったというだけでなくて、この悲しみに終わりがないことが辛い」

と言いました。

いつまでも、私たちはこの悲しみを背負っていくのだなぁ...

もちろん、1年じゅう悲しんでいるわけではないし、楽しいことも沢山ある。だけど、毎年3月になると、悲しみがよみがえってくる。それを繰り返す。

話は変わりますが、3月は、教会では「レント」という季節と重なります。

「レント」は「受難節」とも呼ばれ、イエス・キリストが弟子に裏切られて十字架につけられたことを覚える季節です。「灰の水曜日」から始まり、イースター(復活日)に終わります(厳密にはイースターの前日の「聖土曜日」が最終日)。毎年「灰の水曜日」とイースターの日にちは変わりますが、だいたい2月中旬から4月上旬(3月末のこともある)が、レントの期間です。

東方教会では、このレントの期間を「明るく、悲しい季節 (bright, sad season) 」と呼ぶそうです。イエス・キリストが裏切られて十字架にかけられた「悲しい」季節。でもそのあとに復活されることを私たちは知っているし、イエス・キリストが十字架にかけられたことによって私たちの罪が償われたことを知っているから、「明るい」季節でもあるのだと思います。

私たちの悲しみも、復活の希望があるから、悲しいけれど、明るさもある。光がある、と言った方がいいかもしれません。そういう意味で、もちが神さまのところに行ったのが3月というのは、意味があったのかもしれません。

そして、復活の喜びと共に、私たちにも新しい命が…とうっすら期待していましたが、今日リセット来ました~

そんなにうまくいくわけないか。

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