僕らがモクテルBARをやる理由
東京にノンアルコール&低アルコール専門のBARをオープンさせた僕らは、都内を中心に(軽井沢店もあります)BARを展開しています。
オーセンティックなBARやジンの専門店、フルーツカクテルに特化した店舗など、お店ごとにテーマや雰囲気も変えています。
よく、「バーテンダーなのに何でノンアルコールなの?」と質問されます。
バーテンダー=お酒が強い
というイメージがあるようです。
バーテンダーの中には表立って言いはしませんが、お酒が弱い、または、全く体が受け付けないという方も多くいらっしゃいます。お酒はソムリエさんのテイスティングのように口に含んで吐き出せばいいですし、カクテルの味見であれば数滴口に含めばバランスはわかります。
私もビールやワイン一杯で顔が真っ赤になり、心臓がドキドキするくらい、お酒が弱いです。
バーテンダーはお酒を扱う仕事ですから、お酒が好きでないと長く続けられないのは確かだとは思いますが、
この好きというのは必ずしも「お酒の味」や「酔い」だけが好きというわけではありません。
もちろん、嗜好品であるお酒は知識が増えたり、味見を重ねていくうちに美味しいと感じるようになったりするものですが…。
お酒にまつわる文化や、BARの雰囲気、そこで生まれるコミュニケーションなどなどお酒から派生するものは多くあります。
体質的にアルコールの耐性がないバーテンダーは、このお酒から派生する文化や、BARという空間
(サービスを含めた音楽や調度品、ゆっくりとくつろげる雰囲気)、そして自分がお客様に提供するものの反応がダイレクトにわかるといった事が好きでバーテンダーをしています。
日本では「男同士酒を飲んで」とか「酒が飲めないで営業の仕事がつとまるか!」など、何となくお酒が飲めない=ネガティヴな印象がありました。
たしかに、日本人のように感情を表に出すことが敬遠される文化のなかでは、「無礼講」という形で本音を言いやすくなる酒の席はコミュニケーションの手段として使われてきました。
適度に飲む分には、素敵な時間という事は否定しません。
私自身も、そういった席で楽しい時間を過ごしたり仕事の熱い話や、恥ずかしくて普段言えないような本音をお酒の力を借りて言ったこともあります。
ただ、日本人の4% は全くアルコールを受け付けず(アレルギーレベルで)、飲めても弱いタイプは40%もいます。
アルコールは体内に入ると、アセトアルデヒド→酢酸という順に分解されていきますが、このアセトアルデヒドは人体に有害です。
全てスムーズに分解できる人にとって、お酒は何ともないのですが、分解酵素をもたない人にとっては、毒になってしまうのです。
こういった事実がある中で、お酒は飲めないけれど、バーには行きたい。あるいはお酒はあえて飲まないけれど、バーには行きたい。
(食事の後少しゆっくり話をしたり、一人でゆっくりと過ごす場所…etc)
日本にはそういう方々に提供できる選択肢があまりにも少ないのが現状でした。
事実、一部のBARではお酒が飲めない方を嫌がったりすることもありますし、モクテルを頼んだらジンジャーエールだったみたいな話も聞きます。
BARは音楽や文学、芸術など様々な、人を人たらしめる文化が交差してきた、豊かな社交場としての一面もあります。お酒を飲める人しか、そういったBARの文化に触れることができないというのは、あまりにも残念でした。
私達も未経験の分野でしたが、欧米でもソバーキュリアス(選択的にお酒を飲まない)というカルチャーや、グローバル化に伴い宗教上お酒を飲まないゲストに対するホスピタリティとして、モクテルバーが増えてきたり、日本では投資家の藤野さんが「ゲコノミスト」というお酒を飲まない人たちのグループを作って注目されるなど、タイミングが背中をあと押ししてくれました。
アルコールを飲んでもいいし、飲まなくてもいい。飲む人と飲まない人が一緒に楽しめるようなBAR空間をつくりたい。
というのが、LOW-NON-BARを作ったきっかけです。
ありがたいことに、お店には連日色々な方がいらっしゃいます。飲める人、飲めない人、あえて飲まない人など、こちらの想像していなかった利用動機を話してくれるお客様など、本当に様々です。
緊急事態宣言で飲食店のアルコール提供が禁止になり、今まで何となくスルーされていたゲコノミスト達に、ようやく日が当たりました。
今はまだまだ、足りていませんが、そのうちBARでも当たり前のように飲む人と飲まない人が隣同士に座っているという光景が見られるかもしれません。
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