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春夏秋冬代行者の読者にド直球メフィスト賞ミステリを読ませようとしてくる四季大雅『ミリは猫の瞳に住んでいる』

 みなさんこんにちは。
 昨年衝撃的なデビューを果たし、「これはラノベとして出すべきではなかったのか」と論争を呼んだ四季大雅の2作目となる電撃金賞受賞作『ミリは猫の瞳に住んでいる』が刊行されたので、読みました。

 デビュー作の『わたしはあなたの涙になりたい』が極めてライト文芸的作風(とそういったものへの毒)だったため、電撃受賞作である本作もMW文庫に割り振られることが予想されていましたが、実際の割り振りは電撃文庫でした。(電撃大賞は受賞後、電撃文庫かMW文庫かに割り振られる)
 最大限。最大限、電撃の編集部に寄り添った解釈をするなら、『春夏秋冬代行者』の読者に男女恋愛ものとして読ませたいのでは?と思って電撃文庫に割り振られた……のかもしれませんし、あらすじもこう、男女恋愛特殊設定ライトミステリになってるじゃないですか。
 それで、実際に読んだ感想としては、

 メフィスト賞やんけ~~~~!!!

 出来不出来とか傑作駄作以前に本当に「メフィスト賞」ですからね!(メフィスト賞というのは講談社のミステリ新人賞で、枚数制限がなくカオスな作品が出てくることで知られている。代表的な作品としては『クビキリサイクル』や『すべてがFになる』『Kの流儀』『コズミック』『NO推理、NO探偵?』など)
 春夏秋冬代行者よりも、絶対に『天帝のはしたなき果実』や『THANATOS』や『火蛾』を擦りまくっている層の方が面白がるやつじゃん!

 あらすじだと本当に、本当に、男女恋愛特殊設定ライトミステリで、まあ実際特殊設定ミステリなんですけど、それ以外の部分がことごとく異様なので作品全体が異常なテンションで語られていくことになる。
 コ口ナ禍の大学に通う主人公(精神疾患持ちで精神薬を大量に服用している)は、他人の瞳を「接続」してその経験や過去を視ることができる。ある日、殺人現場を見てしまった主人公は猫の瞳を通して未来視の能力を持つ少女と出逢う。しかし、主人公と少女はどちらかがいずれ殺人鬼に殺される運命にあった。それを回避するため、少女の導きによって主人公は大学の演劇部に入り込むが、またしてもそこで連続殺人が起きることとなる……。
 
 本作は「演劇」「連続殺人」「未来改変」の3軸を、時間・空間に関する衒学的な語りをまじえながら謎解きを行っていく。
 これだけだとまだ特殊設定ミステリではありそうな気がするが、本作の異様なポイントとして、それだけで作品が1本書けそうなネタを大量消費していくところがある。
 ゾンビの蔓延した未来のシェルターにおける密室殺人、他人の飲んだ飲み物を当てる日常の謎、マルチバースをかける歴史改変合戦、そして回転する館での殺人……。
 節操もないように挿入されていく様々なミステリが次々と出現し、推理されて使い捨てられていく様は壮観。
 また、コ口ナ禍という現実の世相をいっさいのぼかしなく剥き身のまま取り上げているところも特徴である。いや、これまでの電撃大賞受賞作品もアフターコ口ナを意識した作風が十分に含まれていた(『ユア・フォルマ』など)が、本作の場合かなりセンシティブな部分まで踏み込んでいる。このあたりの「未来に希望がまったく無いなかでどう生きるか」という閉そく感は同時期のライト文芸作家であれば八目迷(ライト文芸ということでいいだろ!)も描き出しており、時代性を感じる。

 思いついたネタをとりあえず入れてみたみたいな感じさえするが、改めて見返してみるととある共通点があり、これがラストへの補助線になっていることに気付かされるだろう。
 ……というかはっきり言ってしまうと、これ以外にも異様な要素がすし詰め状態ですさまじくうるさい小説のネオエクスデス状態である。
 どこからともなく飛び出してきた野生の異常中年を捕まえるパートやいきなり孤島の館が生えてきていきなり殺人が起きいきなり回転しいきなり燃やされる下りとかは「自分は何を読んでいるんだ?」と思った。
 しかし、そんなネオエクスデスのど真ん中に放り込まれ、混迷とした展開と衒学的語りのマルチバースに溺れて、溺れて、溺れながら「愛」の物語に着地するのはすごいし、こんな空中分解しそうな展開をすんでのところで一つの作品として纏め上げているのはひとえに作者の超絶技量によるところが大きいだろう。
 
 この作品を読んで案の定激怒している読者を何人か見かけた。
 たぶん怒りを覚えているのは「泣ける青春恋愛特殊設定ミステリ」を期待して読んだらなんかすごく変な味のものを出されたからであろうと思っている。
 実際変な話(野生の異常中年を捕まえる話が変な話じゃないわけがないだろ!)だが、そもそも四季大雅自身、「感動」「泣ける話」に対してものすごく冷ややかな視線を向けていることは前作からも明らかで、多くの読者から期待されている「泣けるライト文芸」の外見をとりながらも実際にやることはその真逆を突っ走っていることは言い添えておきたい。
 わた涙の場合はそれを多くの読者が理解できないまま「感動作」として受け止めてしまったために高評価を得たが、ミリ猫の場合露悪的で挑発的な部分が顕著であるために怒りを買っているのだろう。
 わた涙を読んで「なんて底意地の悪い作家なんだろう。これは意図的なのか? 天然なのか?」と思ったが、ミリ猫を読んで絶対意図的にやっていて、絶対わた涙を読んで感動だけして終わってしまった読者をゲラゲラ嘲笑している向きだということが確信に変わった。

 逆説的に言えば、四季大雅のひねくれた思想を受け止められるちからがある読者であれば、ライト文芸を装ったなかに潜む悪意を面白がれる素質もあるということで、だからメフィスト賞みが強いのだ。
 もしあなたが舞城王太郎や竜騎士07を愛読するならば、「ライトノベルの枠を超えた」とかいうダサい言われ方をされたりネタバレを喰らう前に今すぐ手に取り、異様な内容を目撃してほしい。
 特に『ディスコ探偵水曜日』や『うみねこのなく頃に』とは通じるところがあろう。

 いや、でもやはり何故メディアワークス文庫で出さなかったのか。
 MW文庫の読者は野崎まどとか読んでるから受け止める素地がないわけではないだろ! 


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