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日本国憲法の成り立ち

私の護憲仲間が書いたものです。
とても分かりやすいので多くの方に見てほしいと思い、ここに紹介させてもらいます。
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🍀日本国憲法の成り立ち🍀


現行の日本国憲法はアメリカの押し付けだ、という定説は改憲派の論拠のひとつになっています。
たしかに、GHQ草案をベースに現在の日本国憲法の原案(大日本帝国憲法の改正案)が日本政府によって作られたことは歴史的事実ではありますが、
そのGHQ草案の1ヶ月以上前にすでに日本の民間人による独自の憲法草案が存在し、その草案が逆にGHQ草案にも影響を与えているということも、また歴史的事実です。

それは有識者7人が1945年11月に結成した「憲法研究会」による草案で、主権在民や平和主義、表現の自由、男女平等などをうたっていました。
7人の顔ぶれは高野岩三郎、森戸辰男、杉森孝次郎、馬場恒吾、鈴木安蔵、室伏高信、岩淵辰雄という、当時の進歩的な学者、評論家、ジャーナリストらで、いずれも戦時中は治安維持法違反などで逮捕・収監され、または職場から追放されるなど、塗炭の苦しみを味わった人々でした。

敗戦後、GHQの指導により日本政府も「憲法問題調査委員会」(松本烝治委員長)を設置しますが、日本政府にはもとより帝国憲法を改正する意図は毛頭ありませんでした。
とくに天皇の権限を縮小もしくは削除するような改定はおよそ慮外のことだったようです。

その一方、この「憲法研究会」のメンバーは、天皇制廃止も議論の俎上に載せながら、天皇の統治権を廃止し、「国家的儀礼を司る」という、現在の象徴天皇制に近い制度を打ち出していきました。
このような憲法草案が生まれた背景には、研究会のメンバーで唯一の憲法学者だった鈴木安蔵の存在があります。

鈴木は戦前から帝国憲法の歴史的研究を手がけ、大正デモクラシー期の思想家、吉野作造の示唆などを受けて明治期 の自由民権運動に目をむけ、帝国憲法制定当時の議論の中から高知出身の植木枝盛による 「日本憲法」を再発見する。そこにはすでに「主権は日本全民に属す」と、国民主権の 思想が打ち出されていました。

いまの日本国憲法の精神が自由民権運動の伝統とつながっていること、さらにその源流はドイツのワイマール憲法、イギリスの「権利の章典」、アメリカの「ヴァージニア権利章典」、「アメリカ独立宣言」、「アメリカ合衆国憲法」、「フランス人権宣言」にあり、いわば18世紀から20世紀にかけて発展してきたさまざまな憲法典を持ち寄ってできたもので、民主主義、自由と平等という普遍的な価値観の系譜にあることでした。

GHQはこの憲法草案を入手してすぐに英訳し、その内容がすぐれて民主的で「受け入れられる」ものであることを確認しました。

起草にあたったGHQ民政局のホイットニー局長以下25人のうち、ホイットニーを含む4人には弁護士経験がありました。しかし、憲法学を専攻した者は一人もいなかったため、憲法研究会の「憲法草案要綱」や、アメリカ合衆国憲法ほか世界各国の憲法が参考にされました。

その後、マッカーサーノート(天皇制の存続、戦争の放棄、封建制の廃止)が出され、GHQ民政局が徹夜を重ねて日本国憲法のGHQ草案を作ったというのが歴史の流れです。

後に、研究会のメンバーだった森戸辰男が文部大臣となり、各政党から法律の専門家が招集され 14名の国会議員からなる 帝国憲法改正案委員小委員会 が設置されました。
委員長には 芦田均(後の 47代首相)が選ばれ 約1か月に及ぶ白熱した議論の末 日本国憲法 が出来上がったのです
鈴木義男(日本社会党)が 平和主義 を提案し 犬養健(日本進歩党・犬養元首相の三男)達も賛同。
積極的な提案が重ねられ 前文に 国際平和を誠実に希求し などを追加。
政府が提出した帝国憲法改正案に対して第9条を中心に 第25条生存権 ・第26条義務教育 等を盛り込む修正案を示し、その修正などを可決して成立したものが現行憲法です。

この日本国憲法がアメリカのいいなりに作られたのではなく、日本人の智恵が織り込まれ、さらにドイツのワイマール憲法を踏まえた森戸の修正案により、日本国憲法が歴史的・国際的な「正統性」のもとに生まれた、人類の英知の結晶とも言うべき存在であり、人類の普遍的価値を体現したものが、日本国民が世界に誇る『日本国憲法』なのです。

このような事実を踏まえずして、憲法改正論議は成り立ちません。
そして、一時の政治的な思惑で安易に改変されていいものではなく、また偏りなく改変出来るものでもない事は明白です。

【憲法メモ】
《マッカーサー草案(GHQ草案)は、主語に「人民/何人/自然人」という語を用い、また「外国人に対する法の平等な保護」を定める条文を設けていた。日本国憲法では「人民/何人/自然人」は「何人」を除いて「国民」と書き換えられ、「外国人に対する法の平等な保護」を直接訴える条文は無くなっている。たとえば第十三条では「自然人(natural person)」を「国民(person)」に改め、英文の変更を最小限に留めながら、実際には外国人を対象から外すというテクニックを使っている。》

《日本政府は「マッカーサー草案」(GHQ草案)に基づき総司令部との折衝の、4月17日、口語化と修正を加え、外国人の権利および「家庭は、人間社会の基礎であり、その伝統は、よきにつけ、悪しきにつけ、民族にしみこんでいる。」という文句などを削除し[1]、「憲法改正草案」を発表。6月8日、昭和天皇臨席の下、枢密院はこれを可決、また8月24日、衆議院において若干の修正を加え圧倒的多数で可決、10月6日、貴族院は、若干の修正を加え可決した。翌7日、衆議院は貴族院回付案を可決し、帝国議会における憲法改正手続はすべて終了した。》

《帝国憲法改正案委員小委員会 は 秘密会議 とされていた為か あまり知られていませんでしたが 近年 国立公文書館の資料が整備され 速記録の公開によって 詳細が次々明らかになりました》

《マッカーサーノート三原則》
1.天皇の職務・権能は、憲法の基づいて行使され、国民の基本的意思に対して責任を負う。
2.国家の主権的権利としての戦争を放棄する。軍隊は持たず、交戦権もない。
3.日本の封建制度の廃止。
日本国憲法は押し付け憲法ではありません

血相を変えて、
《押し付け憲法だから、GHQ占領下での憲法だから》
と、言い返してこられる方がいます。

日本国憲法の中でも憲法9条の戦争放棄は
日本の第44代総理大臣が、
マッカーサーに提案して作られた条文です。

その人物の名前は《弊原喜重郎》
当時、実際に戦争を経験した人が
日本人に戦争加担をさせないで欲しい。
と、平和生存権も提案しました。
その提案が通ったお陰で、
私達は守られているのです。

度々削除されている動画ですが、また投稿されてたので紹介します。

焼け跡から生まれた憲法草案

日本国憲法 誕生の真相 ~ 映画「日本の青空」(ダイジェスト版①)


日本国憲法 誕生の真相 ~ 映画「日本の青空」(ダイジェスト版②)


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